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サイコー君のくま父さん

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『玉碁高校 アイラブ・シンブン』 その4

  4 退院した美少女

 この日の夜、俺がまた部屋でくつろいでいるときに電話が鳴った。……昨日とほとんど同じ時刻だ。部長からっぽい気がする。
 ケータイを確認すると、昨日登録したばかりの部長の名前が表示されていた。
「やっぱり……」
 今日は特にどやされることもしてないなと、気軽なノリで電話に出てみる。
「おぉっす。部長?」
「笹宮? さっきみゆきに聞いたのだが、ド素人の分際で拡張員歴二年目になるみゆきに口答えしたんだってな」
「口答えなんてしてないって。ただ、客の立場になって考えたらどうかなって言ってみただけだ。部長もそうだけど、新聞拡張員は基本を忘れてるんだじゃないか?」
「ふん! 下手に出るだけでは契約などとれんわ!」
「……現にそれで契約とってないでしょうが。そうだ、お前今日はどこにいたんだよ。結局最後まで部室には現れなかったし」
「なんだ、気になるのか? わたしのことが」
「まあな。ウチの部長がさぼってちゃあ話にならないだろ?」
「無礼な男だ。わたしは明日退院してくる春香のところに行ってきたんだ」
「春香? ……って神高春香か?」
「なんだ、知ってるのか? ……そうか、みゆきから聞いたか」
「なんでも報道部の新聞を拡張してたときに、すっげぇ成績を上げた子だろ?」
「今いる部員だけではとても報道部の連中には勝てない。勝つには春香の力が絶対に必要だ。笹宮ぁ、お前はくれぐれも春香の邪魔だけはしないようにな」
「わかってるよ。俺は素人で彼女はプロだ。ずっと後ろのほうで控えているよ。他に用事がないんだったら切るぞ……あっ、ちょっと待て。最後に一言」
「ふん、文句の一つでも言いたいのか?」
「違う。その……今日は神高のいる病院まで行ったんだろ? お前もまだ足が完全に治ってないんだから、あんまり無茶するなよな」
「……あぁ、今の言葉グッときた」
「ウソつけ」
「ははは、なんてな。もちろんウソだ。でも大丈夫。だいぶマシになったから。お前は多少無理してでも契約とってくるんだぞ」
 まったく、変な女だ……。神高春香か。どんな子なんだろう。
 今日、母さんは夜勤で家に帰ってこない。コンビニ弁当も食ったし、明日も一人で起きないとな。さっさと寝て、明日に備えるとするか。

 ――翌日。
 新聞拡張部になって三日目だ。もう昼休みに部室に行くことは少しずつだが慣れつつある。今日はコンビニでパンでも買っていくか。
 学校に行く途中にあるコンビニに寄ろうと自転車を止める。
 ガヤガヤ、ガヤガヤ……。
 店の中に入るがどうも騒がしい。どうやらレジの店員に一人の男が怒鳴っているようだ。避けたい気持ちもあったが、ここのコンビニで買い逃すと他で買うところがないからな。学食のパンはかなりの高確率で売り切れるので、確実に買える自信はなかった。
「こらぁ、兄ちゃん! なんでコンセント貸さへんねんや? ちょろっと借りるだけやろ!!」
「申し訳ありませんが、そういうのはサービスにないんです」
「奥にあるやんけ。ほら、そこ! コンセント貸してくれや!」
 関西弁? それにしても迷惑な客だな。コンビニでトイレの利用サービスがあることは知っているが、コンセントを無料で貸し出すサービスがあるなんて聞いたことがない。
 ケータイの充電器なら千円ちょっと出したら買えるのだが、どうやらケータイでもないようだ。四十歳から五十歳ぐらいの作業服を着た男はかなりでかい電気器具を持っていた。
これを充電? かなり電気を食うぞ。それに時間もかかりそう。
 店員が断るのも最もだ。こんな客、早く店から出ていってくれたらいいのに。
 そう思うのは俺だけではなく、この店にいる約十人が思っただろう。
 店員と作業服のおっさんが押し問答している中、一人の女の子が割って入った。
 制服……高校生か。あれってウチの高校の制服じゃないか。
「やぁやぁ、そこの額に汗を流すおじ様。コンビニでコンセントを貸してほしいなんて、ちょっとわたしは聞いたことがないなぁ~」
「あ? あんたには関係ねぇだろ。すっこんでな」
「関係あるんだよね~。おじさんがそこを離れてくれないとレジが通らないじゃん。店員さんは一人みたいだし」
「知ったことか! 俺はな、この電動ドライバーの充電をしないと仕事ができねぇんだ。それ以上うるさくしてっと、ぶっ殺すぞ!!」
 言わんこっちゃない。こういう大人には関わらないほうが得策だ。
 たぶん、店員も根負けしてそのうちコンセントを貸すだろうぜ。主張したもん勝ちだ。言ったもん勝ち。別に勝ちじゃないかもしれねぇけど。
「殺す? ……わたしを?」
 なに、この雰囲気? いきなりキャラが変わった?
 どうやら彼女はプッツンしてしまったようだ。怖がる様子など一切なし。今にでも一触即発しそうだった。
「おじさん、新聞あげるよ。これ、今日の朝刊。まだ読んでないでしょ?」
「いらねぇ、そんなもん! 俺が欲しいのコンセントだ。コ・ン・セ・ン・ト!」
「そんなもん……かぁ。まあまあそう言わずに、あげるったら。わたしはもう全部読んだし。それにこれからボロボロになってもう読めないと思うから♪」
「……はぁ?」
「感謝しなよぉ。これで涙拭いたり血を拭いたりできるじゃん。新聞の使い道って探せばけっこうあるんだよ」
「意味わかんねーよ! もう我慢できね! 殺す! ぶん殴る! おああぁぁーッ!!」
 見たこともない女の子。髪はショートで横顔しか見ていないがたぶん美形だ。
 自分のとこの学校に通う女の子が、こんなワケのわからんおっさんに殴られる光景なんぞ見たくはない。
 俺が助けに入ろうかと迷っていたところで、殴り合いのケンカが始まってしまった。
 おっさんの右ストレートに対し、女の子は丸めた新聞でカウンター。新聞がおっさんの口の中に入り、歯茎でも切ったのか口からボタボタと血を垂らす。
「ぎやああぁぁ~ッッ!! 痛ってぇ~ッ!!」
 女の子は笑みを浮かべ、上に飛んだ。そして華麗な指捌きで一枚の新聞紙を取り出した。空中でその新聞紙を広げる。男からだと視界に入るほとんどが新聞紙になっているはずだ。これには目隠しの効果があった。
 当然のようにおっさんは新聞紙を払いのける。――が、そこに女の子はいない。
 女の子は素早くおっさんの後ろに回った。新聞を極限まで細くなるように強い力をかけて丸める。出来上がったのはまるで警棒だ。新聞紙とはいえ、その強度はおそらく高い。
「悪いおじさんはわたしが拡張してやるぅっ!」
 えっ? ちょっ……それどこかで聞いたことがあるんだけど。
 おっさんが女の子に気づき、後ろを振り向いた瞬間――武器と化した新聞が、おっさんの鼻を強打した。
 ――ズドムッ!
 そして沈むように倒れ込むおっさん。
 強烈だった。顔中血だらけになって生々しい。床にも血の跡が点々とついていた。
「正当防衛! おじさんがわたしに殴りかかってきたから仕方なく抵抗しただけ。だからなんの問題もない!」
 自分でそう言われてもな……。まあ先に殴りかかってきたのはおっさんだからそうなのだろう。過剰防衛にならなければいいが。
「……あんた、大丈夫か? ケガはない?」
 俺は彼女におそるおする声をかけた。
「え? ……大丈夫だよ。君は?」
「俺も玉碁高校。二年だ」
「へぇ、偶然。わたしも二年生なのよ」
「そんなことより早いとこ、ここから離れたほうがいいぜ。もしこんなんで停学でもくらったらバカ見るだけだぞ」
「うん、そうだね! そうする。……でもその前に」
 女の子はちゃっかり先頭に並んでパンを購入した。
「やっぱりボロボロになっちゃった。ここで買ったものじゃないけど捨てさせてもらおう! バイバイ、今日の最新情報をありがとう!」
 女の子はそう言って、血だらけになった新聞紙をゴミ箱に捨てた。
 ん? 待てよ。新聞? ってちょっとまさか……!!
「なぁ、あんた!」
「うん?」
「あの、名前は……」
「ちょっと待って。今、何分?」
「え……八時、二十分」
「いっけなぁい! 久しぶりの学校だってのに遅刻するなんて絶対嫌だよ!」
 女の子が店から飛び出し、自転車にも乗らず走り去った。……走って学校に行くの?
 彼女、ホントは陸上部とか? ……いや、そうじゃないな。普通に考えて今どきの女の子が新聞なんて持ち歩いていないわな。
 かわいい顔した女の子。新聞。久しぶりの学校……と、ここまで揃えばバカでも予想はできるだろう。彼女が神高春香なんだと。

 俺はその後、コンビニでパンを買い、遅刻はギリギリせずに済んだ。
 自転車を漕いでギリギリだ。それなのに自転車にも乗らず、走って学校まで向かった彼女のほうが先に着くなんてどういうことだ?
 教室に入ると今までずっと空席だったところに一人の女の子が座っていた。忘れるはずもない。ほんの十分前にコンビニで大暴れした女の子がいる。
 二年生になって初めての登校日。ということはこれから部活も彼女と一緒なのか。
 怒らせないように注意しよう。戦闘力で言えば部長や俺よりもはるかに上だ。
 ――ガラッ。
 おっと、先生だ。
 ウチのクラスの担任は現国を受け持っている。で、今日の一時間目もちょうど現国だ。
 神高にとってはタイミングがいい。たぶん自己紹介から授業が始まるんだろう。
「いつもより少し騒がしいな。はは、なにせ新学期が始まって神高の初登校日だ。まだ名前を知らない生徒もいるだろう。自己紹介をしてやってくれんか?」と先生が言う。
「はい!」
 神高は元気に返事をして、教卓までゆっくり歩いた。そして後ろ向きになって黒板に自分の名前を書く。
 カッカッ、カッカッ、カッカッ……。
「わたしは神高春香! 趣味は新聞。実家は新聞屋。彼氏も新聞。前から読んでも後ろから読んでも新聞紙! 新聞大好き女の子! よろしくねっ!」
 ……うわぁ。
 うわぁだよ、マジで。
 一番ひどいよ、たぶん。これだと部長が常識人に思えるほどだ。
 でも、こんな子が実質これまで新聞の契約をとっているんだ。謎だ……。やはりなにかあるんだろう。
 彼女とはまた昼休みか、放課後に会うはずだ。そのときゆっくり聞いてみよう。……って、この教室の空気はどうすんだ?
 彼女はずっとニコニコしているし。空気クラッシャーだな、おい。

 ――昼休みになった。
「こんちはっ!」
 戸を開けると珍しく全員集合している。
 部長に椎名さんにナッツ。そして、今日から久しぶりに復帰した神高の姿もあった。
 ……早いな、おい。これでもかなり全力で飛ばしたつもりだ。ここは早食いチャンピオンが集まる部屋か?
「遅い。まったく、もっと早くこんか!」
 そう言ったのは部長だった。
 神高を見ると口元に一粒のご飯がついていた。これは昼食を食べたという証拠。
 迂闊だった。彼女は俺より早く弁当を食い、そして部室に入った。たぶん食事に費やした時間は一分半程度のものでしかない。でもなぜだ? なぜこんなに早く昼食を終える必要がある?
「新聞拡張部は時間が大事だ。一分あれば三人の新聞拡張ができる」
 できねぇよ。どれだけ荒い勧誘なんだ。現にお前できてねぇだろ。
「……わかったよ。明日からはもっと早く来るようにする。くそっ、毎日がタイムトライアルだ」
 もちろん最後のほうは小声で言った。
「君はどこかで見たような……」と神高が口を開く。
「あんたと同じ二年生のC組さ。笹宮宗太郎。最近入部した新聞拡張部員……まあそれ以前にも一度会ってるんだけどね。今朝のコンビニ、覚えてない?」
「あぁ、あのときのー。ごめんね~、わたしあのおじさんとバトるのに必死だったから~」
「その割にえらいあっさり倒したな。空手かなにかやってるのか?」
「ううん。わたしが編み出した新聞拳法よ。今度、笹宮君にも教えてあげよっか?」
「いや、いい……」
 ボケ……たんだよな。そんな格闘技聞いたこともないし、マジにあっても嫌ってもんだ。
 俺と神高のやり取りが終わると、待っていたかのように部長が声を上げる。
「ほう、今日会ったばっかりなのにこんなに仲が良いとはな。笹宮もやるじゃないか。その調子で新聞拡張のほうも期待したいんだがなぁ」
「別に……その、親しみやすいんだよ、きっと。神高さんは」と、ちょっと照れる。
 神高さんは「ありがとう。春香でいいよ」と、はにかむように天使の微笑み。なんとも嬉しいひとときだ。口にしてよかった。
 彼女は新聞オタクでちょっと変だが、それを除けば明るくてかわいい。そして天然な子だ。
「……やらしー。顔がキモイー」
 ナッツがツンと唇を尖らせて言った。そんなやらしい目で見てたかな、俺。
 
「――ではそろそろ本題に入るぞ。今日のスケジュールについてだが、わたしとみゆき、ナッツの三名は新聞の編集を行う。そして春香と笹宮は新聞拡張だ!」
「えっ、ちょっと……新聞の編集って報道部から抜けた人がやってくれるんじゃなかったの?」
「それがな、五人いたんだが今日になって三人になってしまった。二人は辞めた」
「それってやばくないか? だって新聞って十六ページぐらいあるんだろ? それを一日……っていうかいつも何時間で仕上げてんだ?」
「本来なら部員が総出になって放課後から約二時間半で編集している。前日に自宅である程度記事を書いたりするがな。で、印刷部に印刷してもらって配達部に渡す。配達部は朝まで各自家に保管。そして新聞を配達して学校に来るのだ」
 あまりよくない傾向だ。そうか、いくら部数を伸ばしたとしても肝心の新聞が作れなければ意味がない。いや、もし新聞が作れなければお客は被害者になる。なんの考えもなしに部数だけ増やすのは逆効果だ。これだと思う存分拡張行為をすることは困難だな。でも、なんで二人も辞めたんだ? これからが大事だってことは皆がわかっているはずなのに。
「ウチの部が狂い出すと関連する多くの部に影響を与えてしまうからな。部活動をいえど、その責任は重い。新聞が配達されないなんてもっての外だ」
「じゃあこうしてしゃべっている間も……」
「そうだ、時間が惜しい。やっとわたしの言っている意味がわかったか?」
 昼休みの早食い、あれも意味があったんだな。そうだ、どこに早食いがしたい女子高生がいる? 部長もホントは落ち着いて昼飯を食べたいんだ。でも、それすら時間がないっってことは本当に切羽詰まっている状況なんだな。部活動とはいえ、せいぜい一日三時間程度の活動だ。昼休みも有効に使おうという気持ちもわかる。
「春香には今日からガンガン契約をとってきてもらう。笹宮、お前の仕事は神高の交渉テクをレポートにまとめろ。神高はほとんど自然体で客と交渉しているからな。客観的に分析したほうがいいだろう。そして明日からは笹宮のまとめた交渉テクで各自拡張を行っていく。何か質問はあるか?」
「部長たちは放課後、新聞の編集をするんだろ? だったら明日はどうなるんだ? そんな一日で人員が増えるってもんじゃないだろ。拡張は明日も俺と春香さんだけになるんじゃないか?」
「安心しろ。またわたしが報道部からこっそり引き抜いてきてやる」
 こっそりって……どうやって引き抜くんだ?
 報道部は敵だろ? ここで部員の不足が重くのしかかる。新聞作りにはどうしても人数が必要になるからな。カギはチームワークだ。
 今から新人を育ててみてはどうだろう。一年生なんかまだ部活をしていないのも多いだろう。……それも難しいか。人の育成には時間がかかるからな。そう、俺だって今は足手まといなんだ。必要なのは即戦力になる人材……。
「報道部の人間は敵みたいなもんだろ? そんなに信じていいのかな……」
「黙れ、素人が! この作戦でいくったらいく! 春香はどうだ? このプランで問題はないか?」
「うん。すぐに見つかるといいね。新聞を編集してくれる人」
「任せとけ。そこはわたしの腕の見せ所だ。……では、今から皆で新聞の編集作業に入る。少しでも早く完成し、残った時間を拡張に回すのだ!」
「待ってくれ! 俺、編集なんかしたことねぇよ!」
 いきなりすぎるだろ、いくらなんでも。レジュメとかそういうのないのか? 本格的な新聞作りか。新聞拡張員の仕事じゃねぇな。この部は新聞作りから拡張行為まで、なんて幅広いんだ。それをこんな少数で……。一分一秒だって惜しい。時間が足りない。危機感だけは俺も立派な部員だ。
「大丈夫ですよ。それはわたしが教えますから」
 椎名さんが笑顔でそう言ってくれた。……椎名さんと手取り足取りか。悪くないな。丁寧でわかりやすそうだ。
「またエロい目で見てるー! 宗太郎、さっきからずっとこればっかだ!」
「ナッツ? お前っ、余計なことを言うなっ!」
 なんて女だ。椎名さんと春香さんはまだ笑って見ているが、そう頻繁に指摘されると本当にそういうイメージを植えつけられてしまう。ナッツは俺の監視役かよ……。
「では以上だ。皆、作業に取りかかれ!!」と、部長が檄を飛ばす。

「――それでは笹宮さん。さっそく新聞の作り方についてご説明しますね。新聞作りにはまず取材と編制があって、次に製版、用紙。印刷や折機、キャリアについても知っておいたほうがいいかも。あとは発送と配達ですね。でもこれは一般の場合であって、ウチが作る新聞は……」
 椎名さんがそこで話を止める。俺が彼女の話についていけてないからだ。もう最初からワケわからん。新聞作りってもっと簡単なもんだと思ってた。なにが……どうなの?
「あら、ごめんなさい。わたし、急ぎすぎちゃいましたか?」
「うーん、俺の理解力が低いだけなのかもしれないけど……もうちょっとゆっくり頼むわぁ」
「すみません。ではもう少し分かりやすく説明しますね」
 時間をかけてお勉強。今度は紙に書いてもらったりしてわかりやすかった。まとめるとこんな感じだ。
 取材部門っていうのはそのまんまだ。なにを記事にするかってやつ。大抵の場合は取材する必要になる。電話で簡単に済ませる場合もあるみたいだけど、やはり直接行ったほうが当人の声が生で聞けるし、写真なんかも撮ることができる。
 新聞拡張部が作る新聞は基本は校内新聞なので校内やご近所が主な取材範囲だ。その点、この作業は一般の新聞なんかと比べて少しは楽だといえるかもしれない。取材する人、事件現場を撮影する写真記者、ノートパソコンで記事を書く人(原稿作成)、デスクトップで記事をチェックするディスク(本社に送信された原稿は編集各部のデスクと呼ばれるベテラン記者がチェックし、手直しする)……とまあ、必要な人材はこれだけいる。少人数でこれらを全部やろうとすれば大変だ。新聞拡張とはまったく違う活動内容になる。
 
 編制本部っていうのは記事、写真などの調整作業だな。整理記者はニュースの大小を判断して適したサイズにカット、見出しなんかもつけてレイアウトする。ここでは実際に紙面を作る段階だ。膨大な活字をパソコンで打ち込まなければいけないので、タイピングスキルは必須。
 この取材と編制までが部長たちがしている作業だ。これが終わればあとはバトンタッチ。残りの仕事は印刷部と配達部に引き継がれる。
 完成したデータから印刷に必要な刷版が作られると、それが輪転機に取りつけられる。……なんて言うとちょっと難しいけど、簡単に言えば印刷の準備だ。ただし、これは一般の新聞の場合。ウチの新聞は何千、何万と印刷することもないので、ちょっと大きい業務用のプリンターで印刷をしている。印刷するのはこの部室じゃなくて印刷部で行う。そこには業務用のプリンターが十数台もあるらしい。それらを一斉に動かし、印刷するのだ。しかも毎日……大変だね、これは。
 俺はまだ印刷部に行ったことはないが、部長は毎日そこでデータの受け渡しをするそうだ。ちゃんとすることはしてるんだなぁ。

 用紙についてはとにかく安いものを使っている。学校で大量購入しているものだ。ウチの高校ではあらゆる部が存在するからな。紙を使う量も半端じゃない。大量買いにより、値段はかなり低く抑えることができる。コピー代だって安い。
 印刷や印刷工程についても本格的な新聞社だとかなり大掛かりなものになる。そこらへんは俺が新聞会社に勤めるようになったら勉強するとしよう。……たぶん、その機会はないと思うが。

 次に、折る作業についてだ。本来ならこの工程で折機とキャリアという機械が大活躍する。高速で印刷された紙面が折機により瞬時に折り畳まれ、読者に届けられる新聞の形になる。刷り上がった新聞をセンターグリップキャリアという機械が新聞を一部ずつはさんで発送エリアに運ぶというものだ。
 ウチの場合は印刷部の人たちが印刷した用紙を重ね、一部ずつ丁寧に折っている。それは手慣れたもので、もはや職人技と言っていい。報道部の新聞を合わせて、毎日五百部以上の新聞を作らなければいけない。
 ここで副業部というのが大きく関わってくる。簡単に言ったらバイトみたいなものだ。もちろん依頼料は安い。ボランティアに近いものがある。彼らは在学中にあらゆる仕事を経験するのが目的のようだ。彼らが卒業する頃には幅広い仕事のスキルと知識が身についているだろう。

 印刷された新聞は販売店ごとに発送される。ウチの場合だと配達部というところが、ここからの作業を請け負ってくれている。
 売上から用紙代、印刷代、配達代を引くとウチに儲けはない。でも部長たちはこれでいいと言っているし、俺もいいと思う。ウチの部はお金稼ぎが目的じゃないんだから。
 新聞の中身には広告の記事がある。そしてチラシも存在する。これらはすべて広告主からお金をもらって掲載、チラシを挟んでいるのだ。
 ウチの新聞にも広告のスペースはあった。チラシはない。これは報道部も共通しているらしい。
 これもまた校内に広告部というのが存在し、彼らはネットや新聞なんかの媒体で広告を乗せたい顧客を集める。そしてそれらの情報を「これでどう?」と仲介をしてくれるのだ。仲介人が入ることによって段取りはスムーズになる。値段の交渉なんかは中立の立場だからお互いに安心だ。
 そういう意味で新聞は新聞を作る者、運ぶ者、読む者、広告を入れる者など多数の人間が関わっている。なんとも複雑に絡み合ってる感じだ。
 基本的に雨の日も雪の日も、毎朝一軒一軒に新聞を各家庭へ届ける形を取っているが、さすがに台風や洪水警報がある日なんかは休刊になる。配る人たちは全員学生。安全第一だ。
 ……てな感じで、椎名さんから新聞業務についての全体像を教えてもらった。拡張員もしんどいが、実際こうして新聞を作る側も大変なんだな。

「――以上で終わりです。わかりましたか、笹宮さん?」
「ん……たぶん大丈夫だ。わかりやすい説明だったよ。ありがとう」
「――いーや、その様子じゃあちゃんと理解してないな、貴様」
 と言うのは部長だった。……今まで静かで平和だったのに。部長がこっちに近づいてきた。
「理解してるって。たぶん」
「たぶんだろ? お前さっきもたぶんって言ったぞ。たぶん理解しているは理解している内に入っておらん! ……これを解いてみろ。お前のアホさを点数ではっきりさせてやる」
 そう言って部長が俺に渡したものはテスト用紙のようなもの。……これ、解くの? ってか、いつの間にこんなもん作ったんだよ。
「このテストで九十点以上取れば合格だ。新聞に携わる者として最低限これぐらいの知識は知ってもらわんとなぁ」
「う……でもこれって」
 かなり難しい。全自動立体紙庫ってなんだよ? カウンタースタッカーとかも椎名さんから習ってないし。こんなの知ってどうする? 高校の部活動だろ。こんなもんわかったらただの新聞マニアだ。新聞……マニア。そうだ、この人らは新聞マニアだったんだ。
「制限時間二十分な。始めろ」
 結局、俺は十五点しか取れなかった。それから十七回目にしてようやく合格点まで辿り着く。こ、これで俺も新聞マニアだぜ……全然嬉しくねぇよ。

 それから俺は学生の部の新聞記事をパソコンで打っていた。
「思ったよりちゃんとした文章もあるんだな。学生が作った内容とは思えねぇよ。これって椎名さんが書いてんの?」
「もちろんわたしも書きますけど今、笹宮さんが持っている原稿は部長が書いた記事ですよ」
「へぇー! 部長が? 顔に似合わずなんて繊細な文章を書くんだ」
「笹宮さん……」
 あ、いけね。部長もここにいるんだっけ。聞いていないことを祈り、俺はタイピングを続ける。
「聞いてるぞぉ~、笹宮ぁ」
 なんて声出すんだ。まるで呪いの言葉のような不気味な声で部長が反応する。
「ごめん、ごめん。でもこれって素直にあんたのことを褒めてんだぜ」
「ふん、お前に褒めてもらっても嬉しくなんかない」
 ん? やけに距離が近いような……。――振り向くと、俺の後ろに部長がいた。
「うっ、……ああぁっ! なに瞬間移動してきたんだよ? いつの間に俺の後ろに回ったぁっ?」
 ちょっと離れた距離をほとんど時間を感じさせないように移動する。どうやらここの部員は身体的能力が優れた人物が多すぎるような気がする。
 そういや部長の足は治ったのだろうか。こんな瞬間移動ができるんだしな。
 彼女の足を見ると包帯を巻く範囲も小さくなっていた。順調に治っているということだ。これはよかった。
「ときに笹宮、お前はタイピングが早いほうか?」
「え、タイピング? いや、よくわからんが」
「数えたことないのか?」
「ない。でも別に早くもないし、遅くもないと思うぞ」
「とりあえずどれぐらいのスピードかを見てやろう。もし遅かったら部活が終わったあとに家でタイピングの練習だ」
 部長が身を乗り出してマウスを操作する。
 カチ、カチ……。
 おっと、部長の顔と胸が俺の顔面のすぐ近くに。ちょっと体勢を崩して頭を前に出せばあの豊満なバストが顔を埋めるわけで……。
 ……ドキドキ。
 しかし妄想に浸っているとまたあの視線――そう、ナッツの視線が突き刺さる。
 わかってるよ。こんなタイミングでふざけたりしねぇ。……でも部長から放たれる香りはとてもいい匂いだった。香水とかではない。女子高校生特有のいい匂いだ。シャンプーかボディーソープかわからんが甘ったるくて、とろけそうな香り。
 俺は気づかれないようにして大きく深呼吸する。スーハァーッ……あぁ、幸せだ。
「――部長ぉぉーッ! 宗太郎がエロい目で部長のおっぱい見てるよー! しかもなんか嗅いでるー!」
 くそっ、あのガキ……! ナッツ!!
 部長が振り向くと、その……顔が胸に、当た、った……。
「うわぁぁ――っ!! なぁにやってんだ、貴様ぁぁ――ッッ??」
「いや、違う。これはわざとなんかじゃない。っていうか、俺は動いてすらいない! お前のほうから俺に当ててきたんだろ。その……胸を」
「こいつぅー、人がせっかく部活で必要なスキルを教えてやろうとしているのに! なぜお前はすべてのことをエロい目で見るっ??」
「見てねぇー! 椅子っ! まず椅子を置けっ! な?」
 椅子を振りかぶる部長。どこにそんな細腕でそんな腕力があるんだ。おっかねぇ。あんなの直撃すると下手すりゃあ死ぬレベルだ。
 ……もうやめよ。もうエロいことは考えるな。自然体でいけ。
 椎名さんや春香さんにも少し寒い目で見られてるぞ。やばいやばい……。
「部長! 俺たちには時間がないんだろ? じゃあさっさとやろうぜ」
「……お前は何事もなかったかのようにスルーするつもりか? わたしの胸を……このたわわな胸を、お前みたいなクズに汚されたんだぞ」
 涙を拭うフリをする部長。コントか? スルーさせてくれ。
「だから俺は何も……わかった、悪かったよ。確かにちょっとは考えてたよ、エロいこと。でもなあ、何回も言うが俺のほうから頭を突っ込んだわけじゃ――」
 ――ガスッ!
「がっ……あ……死……ぬ?」
 こいつ、背中に肘落としかよ。地味にダメージの高い攻撃しやがって。
 背骨だぞ。どんな格闘スポーツでも背後からの攻撃は禁止だ。それを骨目がけて……。う、動けない?
「ちょっとは懲りたか? あん?」
「だから……違う……」
「男が泣くな! 情けないっ!」
 人体の急所をピンポイントで狙ってきやがった。こいつは危険だ。
 たぶん人を殺すことも深く考えないぞ。もう絶対、こいつとエロで絡むことだけはしたくねぇ。
 
 それから約三十分がたって、ようやく俺の背中も回復してきた。
 部長が俺にやらせようとしたのは無料のタイピングゲーム。
 画面に表示される文字を素早く打つことでゾンビを倒すというものだ。一つのキーワードを打つごとに一匹のゾンビが死ぬ。これを合計二十匹倒したらクリアだ。それまでの時間と精度を計るというもの。
 とりあえず一度やってみたが二分二十秒ほどかかった。ワープロなんとか検定でも評価されるぞ。五級だ。何度かやって一分十五秒までタイムを縮めたが、これが限界。
「無理だ……四級でギブだ」
「おっそいなぁ! これだと時間が差し迫ったときに使えないではないか?」
「じゃあお前だったらどれぐらいのタイムが出せるんだよ?」
「……わかってないな。このタイピングゲームは基本中の基本。野球でいう素振りみたいなものだ。手本を見せてやるから、さっさとそこからのいたぁー!」
 部長は俺の椅子をぶん取り、そこにちょこんと座った。
 ……自信たっぷりだ。じゃあ見せてもらおうか。その実力ってやつを。
 俺は後ろから部長のプレイ画面を見ていたが、彼女の後ろ姿をじっくり見るなんて初めてだ。サラサラの髪の毛が美しい。きっと触ったらきめ細かで柔らかいのだろう。
 しかし、またナッツの視線が送られる前に俺は画面に集中する。
 部長のタイピングゲームが始まった。
 恐ろしいスピードで叩くキーボード。カタカタカタと鳴り止む感じはない。一定のリズムでかろやかにキーを叩く。かなり熟練した業だ。
「せめて、これぐらいは……してちょうだい、よっとぉ!」
 セリフと同時にクリア。あっという間にソンビは全滅した。
 なんと四十秒かかっていない。タイピングが速ければこんな記録が生まれるのか。いちいちキーボードを見て打っている俺とは大違い。確かにこれほどの実力があれば、あれだけ豪語するのも頷ける。
 一分で打てる文字数は俺の約三倍。こうも実力の差を見せつけられてはがんばるしかなかった。家で自主練することをここで誓う。
「……わかった。家で練習してくる」
「はんっ! 当・た・り・ま・え! 一番成績の低いナッツでも五十秒切っているんだからな」
「げっ、ナッツが? ……ってことは椎名さんや春香さんも?」
「二人とも四十秒台の前半。四十秒切ったらわたしの代わりにお前が部長をやってもいい。ま、無理だと思うけど?」
 くぅ~、バカにしやがって。
「せめて一分は切れ。そうじゃないと真面目な話、まるっきり使い物にならないからな」
 胸の一件もあって今日の部長はいつになく厳しい。
 こうして残りの昼休みは文字起こしだけですべての時間を費やした。
 部長と椎名さんが記事を作成し、俺とナッツと春香さんが文字起こしをする。ふぅ、けっこう大変な作業だ。
 おまけに部長と椎名さんの文字は速記みたいで、文字が判別しにくい。凄まじいほどのスピードでどんどん仕上げる。どんどん俺の机の上に原稿が積み上がり山になる。新聞拡張部ってこんなに忙しいのかよ。
 でも本来は拡張員のする範囲ではない。これも新聞を愛しているからできるのだろう。
 俺はできるだけ早く、そして丁寧にこの作業を進めた。

 五時間目、六時間目と俺は机に突っ伏して寝た。もう爆睡だ。こんなに疲れるとはな。ぶっちゃけ少しなめていたよ。
 新聞拡張部の人たちは大したものだ。よくやっていると思う。……そして少し孤独感を覚える。俺ってなんて無力なんだろうと。
 放課後、教室を見渡すと春香さんの姿がない。きっともう部室に行っているのだろう。本当に新聞が好きなんだな……。
 おっと待てよ。放課後は俺と春香さんは新聞の拡張だ。
 となれば文字起こしはナッツだけ? ……いや、そんなことないか。部長も椎名さんもいるんだ。バランスよく作業の割り振りをするだろう。
 俺は春香さんの交渉テクを間近に見てそれを文書化する。俺は俺の仕事をしよう。
 ――部室に行くとやはり春香さんがすでに来ていた。
「よっ! 五時間目と六時間目、寝ていたね」
「あ……見てたんだ」
「まあね。でもいきなり文字起こしを一時間やったら、誰だってああなるってもんさ。むしろよく耐えられたねぇ」
「そっか……でも俺、遅くて皆に迷惑かけたんじゃないかって」
「そんなことない。だってね、わたしだって初めてタイピングゲームやったときは笹宮君とそんなに変わらなかったんだから。それにわたしたちは新聞を売り込みするのが本来の姿なの。だからそんなに気にしないで」
「……そうだな、ありがとう」
 優しいな、春香さんって。こんなふうに励ましてもらえるのってすごく嬉しい。
「じゃ、そろそろ行きますか? それともちょっと休憩してから行く? 部長たちはちょっと他の部に顔出すとかでしばらくは部室に来ないけど」
「いや、行くよ。今から行こう。時間がないことは俺にもわかっている。……今日は頼むな。お前の交渉テクを俺に教えてくれ」
「交渉テク? ……わかった。では行こう! ついてきたまえ! かくちょーに行くぞぉー!」
「おうっ! 拡張してやるっ!」
 って感じのノリで春香さんについていくことにした。

 まずは自転車に乗って移動。春香さんが乗る自転車の荷台には、なぜか大きなダンボール箱が紐で固定されている。
 中には何が入っているのだろう。新聞勧誘に使う景品? それとも別に客との交渉に必要なものだろうか。……謎だ。実は新聞とまったく関係のないものかもしれない。
「春香さん、今から行くところってやっぱり住宅街? 学生相手に売り込みに行くの?」
「春香でいいよ、笹宮君!」
「え……いいの? じゃあ……春香」
「学生は土曜や日曜、それに祝日なんかじゃないとなかなか家にいないから」
「やっぱりそうなんだ。前にナッツと行ったときがまさにそういう状況だったからな」
「あはは、あの子はちょっと強引だからねぇ。かわいい子なんだけど」
「椎名さんも部長もやり方はナッツとあんまり変わらねぇ。かといって俺ならできるかと言われたら俺にもできねぇ。……新聞をとってもらうにはどんなことすればいいんだ? 景品で釣るとか?」
「景品ねぇ。わたしはそういう考え方あんまり好きじゃないな。確かに景品を渡すと少しは効果があるけど、やがてそれが当たり前になっちゃうのよ。そうするとお客さんはさらに要求してくるからねー。ウチの新聞は安くて面白いのがウリなのさ。だからあんまり経費をかけたくないんだな」
「そっか……そうだよな」
 さすが新聞オタク。言うことに説得力があるな。
 自転車を五分ほど走らせると突然、春香が叫んだ。
「ここだっ! ここから匂いがする!」
「匂い? なんかうまい匂いでもするのか?」
「違う。新聞をとってくれそうな匂いだよ。笹宮君、自転車降りて。行くよ!」
「お、おう」
 自転車を止めた場所は住宅街。特に目立ったものもない普通の民家だ。そこに春香は目をつけ、一軒の家を訪ねる。
 ピンポーン……。
「えっ、いきなりいくの?」
「そうよ。だってここから大声で、新聞とって下さーい! なんて言えないじゃない。それとも笹宮君は言うの?」
「いや……俺もインターホン押すと思う。でもなんのためらいもないのがすごいな」
「新聞拡張員っていうのはそういう仕事なのさー」
「へぇ、まるでもう働いているみたいだな」
「あれ? 言ってなかったっけ? わたしの親、二人とも新聞の拡張員やってるんだよ。たまに配達もするしね。だから新聞拡張と配達のいろはならけっこう知ってるんだ」
 それでこの知識ってわけか。なんとなく納得……。
「編集のほうだったら部長やみゆきちゃんが詳しいから。――おっ、出てきたぞ……」
 家の中からはお爺さんが出てきた。八十歳ぐらいだな。けっこうお年寄り。ここからどうやって攻めるんだ? ちょっと気難しそうな人っぽいぞ。
 俺なら会話することさえ難しそうだ。それを彼女は新聞の勧誘。いきなりの訪問だ。普通では限りなく望みは薄い。
「こんにちは、斎藤さん!」
「あ……あぁ、こんにちは」
「最近暖かくなりましたね。風が気持ちいいですよ」
「そうだな。あの……あんたは?」
「わたしですか? わたしは玉碁高校に通う神高といいます。こっちの男の子が笹宮君! 今日、お友達になったんですよ」
「そうか……で、わたしの家になにか用かね?」
 俺が新聞の件で――と言おうとしたところ、春香がサッと手を出してそれを遮った。
 ……言わないのか? これが春香の交渉テクの一つなのだろう。今の時点が俺たちは新聞について一言もしゃべっていない。春香は続けて言った。
「そこの草木があまりにも見事だったので、家の人がどんな方なのか急に拝見したくなったんです。……あの、もしかして迷惑だったでしょうか?」
「いや、そんなことはない。これはね、わたしの趣味だよ。若いのにこういう草木に興味があるとは嬉しいね」
「わたしも家でお花を育てているんですよー。でも肥料とか病気とか、いろいろ難しくて。園芸ってホントに奥が深いですよねー」
「そう、そうなんだよ! 菜園はね、とっても奥が深いんだ。でも、だから面白い!」
「そうそう、菜園と言えば今年は野菜の収穫量が全国的にいいみたいですよ。スーパーで安く購入できるからいいですよね」
「ほう、そうなのか。そいつは知らなかった。詳しいんだね、お嬢さん」
「いえいえ、そんなに詳しくありませんよー。……あ、でも毎日、新聞を読んでいるからですかね。だから自然にいろんなことに興味を持ったりして」
「新聞? 今時の子は新聞なんて読まないものだとばかり思っておったが……」
「わたしは新聞が若者にとって必須アイテムだと思いますけどね。なにせ世間の流れや流行なんかがリアルタイムでわかるんですから」
「そうか……いや、実はわたしも一応は取っているんだがね。ほとんど読んでないよ」
「それはもったいない! ……ですけど新聞と一概に言ってもいろんなところがありますからね。ちなみにどこの新聞をおとりで?」
 そこで勧誘するのか? この長い前フリはすべてこのときのセリフのため。確実に話は核心に迫っていく。
「わたしのとこは太之新聞だが?」
「そうですか……わたしは自分の通っている高校が発行している新聞を読んでいます。学生が作る新聞といっても市販されているもの以上の内容だと思っています。お値段は一部百円。太之新聞は確か百三十円ですよね。斎藤さんもよかったらウチの新聞にしてみてはいかがですか?」
「いやぁ、でもそれは……」
「そうですか……ですよね。いきなり新聞を変えるなんてなかなかできませんよね」
「いや、しかし……」
「ではわたしたちそろそろ行きますね。素敵な草木を見せていただいてありがとうございました」
 えっ? 引くの? ……ここで一旦引くのか。かけ引き? 俺が見ているこの現場はプロのかけ引きだ。高度すぎる。これはすべて春香の描くシナリオなのか?
「いや、その……もうちょっと教えてくれんか? その玉碁新聞ってのを」

 まるで魔法でも見ているようだった。
 春香の交渉には少しも強引なイメージはない。新聞を勧めるといってもほんのわずか背中をポンと押す程度だ。
 まず自分が新聞拡張員と名乗ってはいけない。そして爽やかな会話。
 顧客の庭の草木や花を褒めるのはかなり有効だ。褒められたら誰だって気分もよくなる。そうすると褒めてくれた人ともっと会話したいと思うものだ。美人でかわいい春香だったら尚更だ。
 おまけに彼女は明るくて楽しい。表情も豊かで会話しているだけでなんだか幸せな気持ちになる。
 そんな彼女が読んでいる新聞だ。興味を持たないわけがない。
 一度勧めて断られたら素直に一歩引いている。こちらはきっかけを与えるだけ。あとは向こうが興味を持つのを待つだけだ。
 ……全然違うじゃねぇか、部長たちとの交渉とは。
 こんな新聞拡張員、俺は見たことねぇぞ。俺も春香みたいな人が新聞の売り込みに来たらつい契約してしまいそうだ。
 柔らかい物腰、温かい会話……これだ。まずは相手に信頼してもらうこと。友好関係を築くことだ。少し手間だと思いがちだが実はそうではない。春香が交渉に費やした時間はわずか三分ほどだ。
 あれ……? ちょっと……ちょっとちょっと! もう契約書にサインしてもらってるし! すごいよ、春香。
「――これでええんかいのぅ?」
「はい、これで大丈夫ですよ。では、来月からは玉碁新聞ですね。ありがとうございましたぁー!」
 俺たちは一礼して、この家を去った。
 感動だった。絶対無理だと思っていた新聞勧誘がまさかこんなに簡単に……いや、拡張員が春香だったから簡単に見えただけだ。

「春香、すごいじゃないか」
「だから言ったでしょ? 新聞とってくれそうな匂いがしたって」
「俺だったら何年たとうが、その域に達しないと思うけどな……。そういや、せっかく新聞とってくれるんだから日割り計算で明日から入れるとか、今月分はサービスするとかしたらよかったのに。もし来月になって興味がなくなったら解約させられるんじゃねーか?」
「それはそれでいいのよ」
「えっ?」
 春香の口から出た言葉は意外なものだった。それってどういう意味……?
「わたしはね、お客さんに楽しく新聞が読んでもらうことを第一に考えるの。あの家は他の新聞をとっているのよ。だとしたら普通は月末までとるじゃない? だったら来月からのほうが準備とかにゆっくり時間を割くことができるでしょ」
「その正直で優しい気持ちが、あの爺さんの心に響いたのかもな」
「そーだったらいいな。へへっ」
「お前みたいな奴がいるんなら新聞拡張員も悪くないな」
「おだてても何も出ないんだからっ! 次! 次に行くよ!」
 珍しく春香が照れた顔を見せた。
 それから何件か家を回ったが、春香の交渉テクはすごかった。あのルックスと性格を抜きにしてもだ。
 会話のレパートリーが半端じゃねぇ。相手を褒めるところも要所要所で変えている。別に庭ばかり褒めるわけでもなかった。あるときはペットを、あるときは子どもを。
 そして自然に話を新聞にすり替える。吸い込まれるようにだ。
 天性なのかもしれない。新聞販売店の両親に教わったのか? 決して演技している感じでもなかった。あくまで自然体。新聞が好きだというオーラが目に見えるようだった。
 天使……彼女の姿から連想されるのは天使そのもの。
 なんだか新聞拡張員がとても崇高な行いであり、また職業のように思えてきた。これを春香マジックと俺は名付けよう。そしてこのテクを実践するのだ。俺も、他の部員たちも!

 街を自転車で走っていると、唐突に彼女が言った。
「――あ、そうだ。笹宮君、ちょっと待っててくれる?」
「いいけど……何?」
 俺たちはその場で自転車を止める。
「へへへ、実はね、わたしが車に撥ねられて入院したとき、そこの大部屋でお友達になった子がいるの。ナオちゃんっていう女の子なんだけど」
 そう言えば、ここから数十メートルほど離れたところに大きな病院がある。春香はここで入院していたんだ。
 建物はとても大きく、駐車場も広い。
「ナオちゃんが千羽鶴欲しいって言ったのよ」
千羽鶴が……?」
「そう。今ではクラスの誰かが入院してもそういうのやらない学校もあるじゃない。でも、ああいうのをもらったらとっても勇気が出るんだよね。わたしね、子どもの頃も無茶することが多くて、ちょっとした事故に遭ったことがあるんだ。それで入院していたときにクラスの皆から千羽鶴もらってさ。でね、その話をしたらナオちゃんがわたしも欲しいって」
「ってことは持ってきてるわけ? その千羽鶴……」
「うん、ほらここに!」
 ちょっと誇らしげに春香は荷台に乗っているダンボール箱をパーンと叩いた。
 そうか、この箱の中身は千羽鶴だったんだ。
「実はね、これって昨日徹夜で作ったの」
「この量を一人で?」
「ううん、部長がね、わたしの家に泊って一緒にやってくれたんだ」
「へぇ、あの部長がねぇ……」
 なんだ、けっこう優しいところもあるんだ、あの部長。でもちっとも眠いなんておくびにも出さない。時間にこだわる部長がね……よっぽど春香のことを大切に思っているんだろう。
「わかった。俺も一緒に行こうか?」
「あー……いいや! だって大部屋は女の子ばっかりだもん。男の笹宮君が来たら皆、驚いちゃうよ」
「あぁ、そっか。じゃあここで待ってるわ」
「ごめんね、千羽鶴を渡したらすぐに戻るから」
「いいよ。ゆっくりしていきな。そのほうがナオちゃんって子のためにもなるだろ。俺もちょっと休憩したかったんだ。待合室で待ってる」
 遠慮なんかしちゃって。千羽鶴を折るってことはそれほどナオちゃんのことが好きなんだろ。だったらしばらくいたいって思うのが普通だ。
 でも春香ってホント優しいよな。明るいし、笑顔も素敵で。こんな子がもし俺の傍にいてくれたら……なんてな。
 俺たちは自転車を駐輪場に止めて、病院に向かおうとしたがちょっとした問題が起こった。
「んっ! あ、あれ?」
「どうした?」
「紐が……」
 きつく縛りすぎたのか。ダンボール箱を固定している紐がなかなか解けないようだ。固くなった結び目を解こうとする春香の指先は食い込んでいて、見ているだけでも痛そうだった。
「どれ、ちょっと俺がやってみようか……」
 紐に手をかけようとしたとき、偶然春香と手が当たってしまった。
「きゃっ」
「あ……ごめん」
 春香はうつむいて、頬を赤く染まらせた。
 いや、その……困ったな。どうしたらいいんだろ。
 照れをごかますためもあって、俺はさっそく紐を解くことにした。――が、大男を一発で倒すほどの春香が解けないのだ。よく考えれば俺にできるはずがなかった。
 だが一度は口にした言葉だ。なんらかしらの成果を出さないと恰好がつかない。いっそ解く発想をやめて、紐を切ってみてはどうだろうか。
「春香。悪ぃ、紐切ってもいいかな?」
「切るの? うん、お願い」
 よし、ならいけるかもしれない。ボールペンの先で紐にプスプス穴を開けていけば、いずれは……。
 プス、プス。プス、プス。
 ちくしょう、なんで地味な作業してんだ。しかし時間はかかるがこの方法なら確実。こんなときこそ急がば回れだ。あ、もうちょっとだ。もうちょっとで切れる……。
 ――プツンッ。
「切れたぁー!」
 俺より先に春香が喜びの声をあげた。ふう、俺もこれで一安心だ。少しは面目を保てたといっていいだろう。
「な、切れただろ? ……ってこんなもん全然大したことねーけど」
「そんなことないよ。ありがとう!」
 この笑顔でどれほど救われるか。春香には人を幸せな気持ちにさせる才能があるな。新聞拡張員もけっこう合ってるかもしれない。春香の拡張で新聞をとる人が多いのも頷ける。
「荷物、持とうか?」
「いいよ、笹宮君はゆっくりしていて。さっきので疲れたでしょ? じゃあわたしは十五分ぐらいおしゃべりしてくるね!」
 春香は一人、エスカレーターに乗って、ナオちゃんの病室に向かっていった。
 俺は待合室でコーヒーを飲んで、今日メモったことを読んでいた。
 かなり勉強になったぜ。早くこのことを部長たちに報告したいな。やっぱり拡張で最も必要なことは優しさだよ。強引に拡張しようとしたってお客は絶対ついてこないんだ。こんな基本なことだけで本人にしてみれはけっこう気づきにくいもの。今日、春香と一緒に拡張をしてそれがわかった。大収穫だ。
 ……って、俺、なんでこんなに真面目にやってんだろう、新聞拡張なんて。
 春香は言っていた通り、約十五分後に待合室にやってきた。ナオちゃんは千羽鶴をとても喜んでくれたそうだ。

 このあと俺たちは近所を周り、今日だけで十四件の家を訪問した。
 その結果、新聞を取ってくれた家庭は驚きの五件。なんと確率にしておよそ三十五パーセント以上だ。なんという成約率……。
 ちなみに契約が取れなかった九件もかなりの好印象。今とっている新聞の契約期間が終わったらとってくれるといったのがほとんどだった。
 客は男性だけでなく、女性からも支持は多い。この十四パターンのやり取りを俺は必死にメモを取った。春香の手振りや視線の動き。そういうのもすべてチェックした。
 やはり生の現場から得られるものは多くて大きい。習うならレベルの高い者に習えだ。部長たちは春香の拡張行為を一度も見たことがないのだろうか? なぜこんなに優秀な拡張員がいるのに他の部員はザルなのだろう。不思議だ。
 春香の実力に目の当たりにして、報道部と互角に闘えると思った。そして一つの疑問が出てきた。
「春香、今ウチの部と報道部が争っているのは知っているよな? 報道部の新聞が気に食わないからってやつ」
「うん、知っているよ」
「お前はこの件についてどう思ってるわけ?」
「……笹宮君は報道部の新聞、読んだことある?」
「あぁ、部室で読ませてもらったよ。確かに内容は新聞拡張部のものと比べて面白みがない」
「そうなの。新聞は真実を伝えなくてはならない。それも速く、正確に。あとは量、読みやすさ、企画……楽しく読んでもらうための手段ってたくさんあるんだよ。だから新聞って楽しいの。でもね、わたしや部長は耐えられなかった。努力すればもっとすごい新聞が作れる。でも報道部の人たちはそれをしようとしない。これって由々しきことだと思わない? こんなもので満足しているようだと、これからの新聞業界が危ないんじゃないか。だから、まずは玉碁新聞から変えようとしたの。自分の通っている学校の新聞ぐらい納得のいくものにしたいじゃない。そのためにわたしは闘う」
 彼女の新聞にかける情熱は本物だ。これほど何かに夢中になれる彼女が俺は羨ましかった。
 俺は小さい。生きてきた人生そのものが小さい。呆れるほどの無関心さ。存在がちっぽけだった。
 でも彼女は優しく微笑んで言ってくれた。新聞拡張で一緒に回っているときにも「大丈夫だよ」とか、「がんばってるよ」とか、「人にはそれぞれペースがある」とか……そう言って俺のことを励ましてくれた。
 俺も本気で報道部の連中に勝ちたくなってきたぜ。
 勝とう! 勝って春香の望む、すごい新聞をたくさんの人に読んでもらうんだ。

 この日は春香と一緒に学校へ戻り、俺は今日学んだ春香の交渉テクをレポートにまとめようとした。しかし質の高いものにするためにはどうしても時間がかかる。昼間のことではないが、自分のタイピングの遅さと文章をまとめる力のなさに少し苛立った。
「笹宮君、がんばっているようだけどそろそろ帰ろうよ。部長たちも帰るよ」と春香が言った。
「あぁ。でももうちょっと……もうちょっとだけ」
「もう、そんなに根詰めなくてもさ、昼休みも放課後もがんばったんだから。がんばりすぎると体が変になっちゃうぞー」
「うん。でもまだ俺、やりたいんだ。このレポート、ぜひ仕上げたい」
 すると、部長がズイと前に出て一言――。
「こら。帰るぞ!」
「……はい」
 その迫力に否定することはできない。背中がうずいてしまった。昼間に食らった肘落としが今になってまた痛んできた。その様子に春香たちはクスリと笑う。
 俺たちが部室を出たのは六時二十分だった。
 途中まで春香と一緒だったが、彼女の自転車が速すぎて、ぐんぐん先に行かれてしまった。彼女はたぶんこのペースで実家の新聞を配っているのだろう。また事故を起こさないか心配だ。一緒にだべりながら帰るのを楽しみにしていたんだが。
 家に帰るとすぐに食事をし、そのまま自分の部屋に行く。
 と、いつもならこのまま漫画を読んだり、寝たりするのだが今回は違う。レポートを完成させる必要があった。
 俺は机に向かって学校でしていた作業を再開した。
 そしてあの時間がくることに気がついた。……たぶん今日も部長から電話があるはず。ああ見えて仲間思いだからな。
 部長から電話がくる前に俺は自分からかけることにした。
 プル――。
 早ぇ。すぐに出たな。やっぱりここに電話をかけるところだったのだろう。
「部長? ……今こっちに電話かけようとしただろ?」
「な、なんでそれがわかった?」
「ついそんな気がしたんだよ。一昨日も昨日も電話があったんだ。だったら今日もあるかなって」
「ふん、知ったような口利いて……ま、定期的に連絡をするのもこれで最後だ。お前も少しは部の流れがわかっただろう」
「あぁ……ありがとうな。俺を新聞拡張部に誘ってくれてよ」
「どうした? 頭でも打ったか?」
「違う。今日、春香と一緒に街を回ってわかったんだ。接し方一つでこうも相手の感じ方が変わる。それってすごいことだと思う。何気ない仕草にも人から好かれる要素があった。もっと知りたい。だから部活がんばるよ。俺も立派な新聞拡張部の一員になって新聞を広めたいんだ」
「わたしにお前ののろけ話を聞かせてどうなる? そんなキモイことは自分の中に仕舞い込んどけ。バカが」
「お前も黙っていればそれなりにかわいいんだけどな」
「結構。お前になんぞ好かれたくない。ま、部活をがんばるのはこちらにとってもメリットになる。下心が見え見えなのはちとムカつくが大いに励んでくれ」
 そうだ、やろう。内容はとてもハードだが、認めてくれる人がいる。俺を必要としてくれる人がいるんだ。多少の眠気は我慢してなんとか今日中にレポートを仕上げよう。
 ――完成したのは夜中の四時だった。そのあと俺は死んだように寝た。
 タイピングの練習は明日からやろう。今日はもうダメ。寝かせてくれ……。

 ――翌日。俺は目を擦り、いつもの時間に起きた。昨日のレポート作成のおかげで眠いことこの上ない。
「ちょっと宗太郎、大丈夫?」
「母さん? 今日は早出じゃなかったんだ」
「そうよ。もう、大丈夫? しっかりしてよ」
「ごめんごめん。昨夜、ちょっと仕上げなくちゃいけないものがあってね」
「それって前に言ってた新聞部の?」
「うん、でも新聞拡張部だから。新聞部って言ったのは間違い」
「拡張って……あんたもしかして新聞の売り込みとかしてるんじゃないでしょうね?」
「してるよ。俺も初めは偏見を持っていたんだ。確かに拡張員には変な人が多いよ。強引な売り方をする人もいる。……ウチの部長とかね。でも中には違う人もいるんだ。その子はまるで天使みたいな感じでね。わかる? 天使の新聞売りだよ? 誰だって契約したくなるんだから」
「……あんた頭、大丈夫?」
「大丈夫だって。でもホントに眠い。むにゃむにゃ……」
 三時間は眠ったんだけどな。今まで毎日八時間睡眠の超健康な生活を送り続けていたから、こういうイレギュラーな睡眠時間はかなりこたえる。
 フラフラになりつつも懸命に自転車を漕ぎ、なんとか学校に着いた。
 一時間目が始まる前までのたったの五分の間に爆睡。……どんだけ眠いんだ、俺は。
 ここでレポートを忘れてきたというオチはあってはならないので、俺は何度も手荷物を確認した。
 ……大丈夫だ。ちゃんとある。そういうお約束はいらないから、マジで。
 各教科の先生方には悪いがほとんど寝させてもらった。で、いよいよこの時間がやってきた念願の昼休みだ。
「ちはっ!!」
 手にはレポートを抱え、元気よく部室の戸を開けた。授業中睡眠をとったので体力も回復している。昼食の弁当は三時間目と四時間目の休憩時間にすでに平らげていた。今の俺に不覚はない!
 部室にはナッツ一人だけか。俺の妙なハイテンションに少し戸惑っているようだった。
「ナッツ~、お前一人だけか~?」
「な、なんだお前は? いつもの宗太郎じゃない!」
「あぁ~ん。宗太郎だよ。満点宗太郎だ」
「満点……?」
「今日の俺は偉いよぉ~。やるべきもんもちゃんとやったぁ~。これでも部長も春香も俺を見直してくれるぅ~」
 起きたばっかりだったのでかなり寝ぼけが入っている。
 漫画で言うなら今のナッツの額には数多くの縦線が入っているだろう。あわわ……という感じで、彼女は後退りした。
「冗談はいいとしてマジでお前一人だけなの? 珍しいな」
「すぐ来ると思うよ。それより宗太郎のほうが来るの早くない? それにかなり変だし」
「ほっとけ。寝起きだ。飯は昼休みになる前に食った」
 ――ガラッ。
 部室の戸を開ける音。振り向けば部長と椎名さん、それに春香もいる。
「……なんだ、今日は早いな。笹宮」
「部長、待っていたぜ。俺の徹夜で仕上げたレポートを見ろ!」
 それは約二十ページにも及ぶ。右上にホッチキスで止めており、表紙には『極秘 交渉テク』のタイトルの文字が書かれている。
「ふん、まだ褒めはせぬぞ。内容を見てからだ」
 部長がぺらりと表紙をめくる。
「こ、これは……?」
 要点を簡潔にまとめ、さらにグラフやイラスト、カラー仕上げでとにかく読みやすい。どうだ、これで文句はないだろう。
「なかなかの仕事ぶりだ。こいつを活かしてわたしたちもより新聞が拡張しやすくなるだろう」
「今まで春香のやり方を真似しようって話はなかったのか?」
「まあな。以前は件数より個性を重視していた。というか、わたしのような悪どい拡張員がいてこそ、春香のような拡張員が際立って目立ち、客も安心する。つまり、より成約率が高くなるというもの。二人の極端に違う販売方法が生み出したコンビネーションというやつだ」
「自分の存在、あっさり否定してるじゃん……」
「なんとでも言え。今日からこのレポートを使って全員拡張活動だ! ……と言いたいところだが、残念ながらわたしたちはまだ自由に動けんのだ。だから今日もまた拡張活動は笹宮と春香に任せるしかない」
「やっぱりまだ代わりの人が見つからないんだ」
「今は頭数がどうしても必要だ。内容を広告だらけにしたりと手薄にしてしまっては元も子もないからな」
「わかった。じゃあ今日も俺と春香は別行動だな」
「本当はそっちのほうが嬉しいんだろ。だがな、昨日お前は春香の交渉テクを見ている。それにレポートとしてテクをまとめてくれた。……そろそろお前一人で旅立て。きっと契約も取れるはずだ」
「今日……俺一人で?」
「そうだ。まさか怖いのか?」
「いや、そんなことはない。一人で活動してこそ新聞拡張員! やってやるぜ!」
「お前はもう新聞拡張部の一員だ。戦力として認めてやる。昼休みは今や恒例となってしまった記事作成に文字起こしだ。皆、総員でやるから気を引き締めろ!」
「「おうっ!!」」
 お……昨日より少しタイピングが速くなっている気がする。一日だけでこんなに速くなるのか。もっと速くなって部長や他の部員にもあっと言わせてやろう。八人の部員はほとんど話もせず黙々と作業を続けた。
 
 昼休みが終わり、放課後になる。俺が部室に入るとそこには春香が一人だけいた。
「今日は別行動だな」
「うん。でもビックリした。今日から一人で新聞を売るんだよね? ちょっと早い気もするけど笹宮君だったら大丈夫かな。けっこうしっかりしてるし」
「おう、任せておけ。で、新聞をとってもらったらいいんだろ? 契約書もらっていくよ。あとサンプルで最新の新聞を一部なんかも持っていっていいか? あとは……」
「景品? もしかして景品探してる?」
「あ、いや……やっぱり邪道だよな。景品で釣るってのは」
「でもナッツや、みゆきちゃんはたまにやっているよ。笹宮君もそっちのほうがいいと思うんなら使っていいと思う」
 どうする……?
 景品があったほうが少しは交渉がしやすい。でも、心の中で客を「景品さえつければ気持ちが変わるんだろ?」ってどこかで思ってしまうかもしれない。
 昨日、春香はたった一つでも景品をつけたか? ……いや、つけていない。
 やはり新聞拡張に景品は不要! 純粋に中身で勝負するべきだ!
「春香。俺、やっぱり景品はいらない」
 すると春香はニッコリ微笑んでくれた。
「じゃあね、行き先を決めようか。もし、二人でブッキングしちゃったら効率悪いでしょ」
 春香は大きな地図を広げ、二人の担当地域を決めた。一日に二十件も回れば十分だろう。
 決め手は買ってもらおうと前に前に出ないこと。押し売りっぽいのが一番ダメなパターンだ。
 自分がされて嫌なことはしない。これを肝に銘じておこう。
「契約書の控えをもらってくるのも忘れないようにね。じゃあそろそろ行こうか」
「わかった! もう準備完了だ。行こう!」
「がんばりすぎて事故とか起こさないでよ?」
 ……それはあんただ。
 校門を出ると俺と春香の進む道が分かれた。念のため地図を貸してもらう。
 さて、俺の担当地域は結構広い。どこから当たろうか……。
 俺は春香のように新聞が売れそうな匂いを嗅ぎ分けることができない。手当たり次第に当たっていくしかなさそうだ。
 俺はあるペットショップに目をつけた。一見ペットショップには見えないが、『亀、売ってます』と手書きの看板がかけられてある。
 ……よし、俺の新聞拡張員のデビュー先はここだ。やってやるぞ。
 店の前に自転車を止め、店内に入っていく。店主が来る様子はない。本当に営業しているのかもあやしいな。
「すみませーん!」と少し大きな声を上げると、ようやく店の奥からのそのそと男がやってきた。
 男は三十歳前後。頭に寝癖がついており、無精髭もしっかり残っている。
 かなりリラックスしている。客ではなさそうだ。おそらくここの店主であろう。
「あの、こんにちは」
「いらっしゃい。亀、好きなん?」
 亀……? そう、ここはペットショップではあるが亀専門のペットショップだ。かなり珍しいと言える。
「いえ別に亀は……」などと否定してしまったが、昨日の春香の交渉しているときのことを思い出す。最初は自分が新聞拡張員だと知られてはいけない。相手と会話をして信頼関係を築くことだは大切なんだ。
「亀、好きですよ」
「ホンマ? ……嬉しいなー、こんな嬉しいこと言ってくれるお客さん久しぶりや。いや、初めてかも!」
 客ではない……が、好感を持ってもらえたようだ。まずはよしとしよう。
 問題はどうやって亀の話から新聞の話へと持っていくかだ。それもごく自然に行わなければならない。
 そう言えば、ある動物園で亀が脱走した話を聞いたことがある。それもつい最近だ。このネタならきっと話題に乗ってくるだろう。
「亀と言えば、確か最近どこかの小さな動物園で脱走したそうですね」
「えっ、ホンマ? マジ? どこ? ぼく、捕まえに行くわ!」
「捕まえに……?」
「うん。ぼく、亀好きやから。脱走したんやったらぼくが捕まえたらタダになるやんなぁ?」
「そういうのはよくわかりませんが……でもどこの動物園かは以前の新聞に載っているはず。二日か三日前の新聞は持っていますか?」
「新聞……ぼく、新聞なんかとってへんわ」
「インターネットがある時代ですが、意外に新聞って役に立つんですよ。新聞ってついつい掲載してるところを全部読みたくなったりしませんか? だから知らずに話題が豊富になり、知識も増えるんです。これってすごくないですか?」
「すごい! ぼくも新聞とりたい!」
 ウソ……マジ?
 こんな簡単に誘導に乗ってくるのか? 逆にこのあとで何か要求されるんじゃないかってこっちが身構えてしまうほどだ。
「どこの新聞がええの? 教えて、教えて~」
「えっと、玉碁新聞なんてどうでしょう? わたしも読んでいますがけっこういいですよ。しかも一般の部は一部百円。ウェブ版ならこれの半額です」
「じゃあ百円のがいいなー。これって手続きどこでやったらいいん?」
「あ、わたし契約書持っています。実はわたし、新聞の……関係者でして、よろしければご契約の手続きをいたしますよ」
「ホンマ? めっちゃタイミングええやん。する! ぼく、するで!」
 男はサインを書いて、そのまま三か月分の購読代、九千円を払った。
「じゃあ明日から頼むで。ぼく、亀の甲羅干しあるからここでどろんするわ」
 どろんって……よくわからない男。
 男は外に出て、亀が入ったプラスチックケースを日光に当たる位置に置いた。
 これで……いいんだよな。俺、別に悪いことしてないよな。
 
 新聞の拡張ってこんなに簡単でいいのかと思いながらも、俺はこのあと二十件近い家を訪問した。しかし契約は一つもとれない。たまたま初めのペットショップでは上手くいったものの、あとの結果は散々だった。
 夕方六時になって俺は学校に戻り、このことを部長たちに報告する。
 一方、春香は六件の契約を獲得。この差だ……やはり春香はすごい。
 だが誰も俺を非難することはなかった。部長でさえも。むしろ、よく初めての拡張で契約をとってこれたなと褒められてしまった。それほど新聞の契約をとるのは難しい。
 明日はもっと頑張ろう。五件……いや、三件でもいい。ちょっとずつ積み重ねていくんだ。今は無理でもいつかは春香さんにきっと追いつく。