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サイコー君のくま父さん

くま父さんがアニメ化されるまでアピールするぞ! オリジナル漫画・ラノベ作品を大量に公開中!

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『売るが屋』 その7

第三章 最大の後悔。そして……

  1 信頼関係が崩れるとき

 ジャンカラに着いてからケータイを確認すると、くま父さんからメールが入っていた。
『32号室や。来てくれ』と。
 まさかカラオケの練習に付き合ってくれ、なんて言うんじゃないだろうな。……おっと、ここは駐輪禁止だった。面倒だが、そのおかげで店が混雑することはない。高齢者の一人カラオケが多いそうだ。ま、こんな地元ネタを言ってもしょうがないが。
 一階が居酒屋とか店屋物なので二階へと上がろう。くま父さんって球体だから階段登るって絶対苦手だよな。絶対エレベーター使ってるよ。
 受付を済ませてぼくは32号室に向かった。飲み物は飲み放題でセルフだ。ウーロン茶を片手にドアを開ける。そこには茶色くて丸いものがあった。……くま父さんだ。
 くま父さんはうつむいて小さくなっていた。まるでそういうぬいぐるみが、ちょこんと置いてあるようだ。
「くま父さん、来たよ……」
「あ、来てくれたんや。ありがとう」
 直接会うと本当に元気がないのがわかる。一体どうしたっていうんだよ?
「なにがあったの、ねえ?」
「こんなん、お前にしか言われへん。娘になんか言われへん」
 なかなか本題に入ろうとしない。よっぽど言いにくいことだ。ぼくをこんなとこまで呼ぶぐらいだ。
「ここならぼく以外、誰も聞いてないよ。だからここに呼んだんだろ? ……言ってよ。なにを聞かされても、ぼくはくま父さんの味方だから」
「ありがと……。ワシな、とんでもないことしてしまってん。最近な、ワシ店におらんへんやろ」
「それは知ってるよ。どこに行ってたのさ? ……まさかクマの風俗とか?」
 そんなのあるのかどうか知らなかったが、テキトーに言ってみた。あるならあるでちょっと引いていただろうな。
「いや、そうやない。それやったらどんなにマシやったか。ワシな、漫喫に行ってたんよ。その、漫喫で……FXやってた」
 FX? それって為替取引のこと?
 ……ちょっと待ってよ。日向の両親が失敗して自殺した、あのFXなの?
「どうして……? 日向たちのことを思ったらそんなこと、とてもできないはずだよ?」
「ちょっと魔が差してしまったんや。店の売上もいいし、アベノミクスも好調や。とどめは黒田のバズーカ……って言ってもようわからんやろうけど、とにかくものすごい勢いで円安が進んだんや。ワシはな、この動きを見て、チャンスやって思ったで。一日や二日で決済したらリスクも少ないやろうって。それが立て続けに負けてしまって……」
「いくら……? いくら負けたの?」
「その……ちょうど百万円」
 バカな。そんなこと信じたくない。
 ぼくたちは一個何百円って物を売って商売してるんだ。買取だって一円でも多くつけてあげたい。お客さんが喜び、そして店も繁盛する。そのためにギリギリの価格をつけている。売るときも、買うときも! それなのにくま父さんは百万円? 百万円ギャンブルで溶かした?
「信じられないよ。ぼく、見損なった。くま父さんのこと、見損なった!」
「水科……」
「くま父さんの味方だって言ったけど、こんなの聞いて味方になれるわけないじゃないか! 日向たちがどんなに苦しむか……そんなこと、くま父さんはちょっとでも考えたことあるの?」
 くま父さんは無言で泣いてしまった。
 ちょっと言い過ぎただろうか。でも、ぼくの怒りはまだ収まらない。
 仕事もしないでギャンブルしていただなんて。許されるわけないだろ。どういう神経してるんだよ!
「ごめん、ごめん……ごめんなぁっ」
「泣いても……なにも変わらないよ、くま父さん」
 くま父さんの泣いている姿を見ると、ぼくの胸は締めつけられるように苦しくなる。
 ……今回だけだ。今回だけくま父さんが言った通り、魔が差したと思うしかない。
「くま父さん、もう今度はないよね? これでFXは終わりだよね、絶対」
「絶対やぁ、絶対もうせぇへん。その証拠に、もうFXの口座閉じたから。退会したから。……だから信じてやぁ。これやと、娘に合わせる顔あらへん」
 くま父さんはぼくに抱きついた。くま父さんの涙がぼくの服に染み込む。
「信じていいんだね? 信じて……」
 ぼくはくま父さんを許そうとした。この一回だけに限って。……でも、問題なのは日向たち姉弟だな。なにせ、FXの失敗で両親が死んでいるんだ。くま父さんを許せるとは思えない。
 お店のお金はくま父さん一頭で稼いだお金ではない。皆で稼いだお金だ。
 まずは説得しやすそうな日向にでも話してみるか……。
「くま父さん、このことをぼく以外の誰かに話した?」
「いや、話してない。水科が初めてや……」
「わかった。じゃあ、あとのことはぼくに任せて。くま父さんから日向たちにこのことを言っちゃあダメだよ。あとで連絡するから」
「わかった……わかったぁ!」
 行動はなるべく早くしたほうがいいな。黙っていてもいずれはバレる。お店の資金を調べればすぐわかることだ。千佳ちゃんならうまくごまかすことができるかもしれないけど、由美子ちゃんや日向だと隠し通せない。まずは日向を味方につける。

 翌日、ぼくは学校の昼休み、日向と会うことにした。店の中ではとても話せない内容だし、電話で話せる内容でもない。
 教室で話すわけにもいかないしな。だからぼくは屋上に彼女を呼んだんだ。
 まったく、屋上で女の子と話すなんて告白だろ、普通。なんでクマがFXで損した話なんか言い出さないといけないんだよ。ムードもなにもあったもんじゃない。
 教室で日向を誘ったとき、彼女は頬を赤らめていたが、そういうのじゃあまったくないからな。ちくしょうっ!
 屋上だと風を感じやすい。そこにはぼく一人だけがいた。
 そして重いドアが開く音。……彼女だ。日向天音。なんかデジャブを感じるが、位置関係が逆だった。
「水科君……話って、なに?」
 正直話したくない。日向の悲しむ顔なんて見たくなかった。ぼくが動かなければ絶対、日向の家庭にヒビが入る。崩壊するかもしれない。……でも、ぼくならそれをなんとか食い止めることができるかもしれない。話すしかなかった。
「昨日ね、ぼく、途中でお店を抜けたでしょ。あれって、シフトの間違いとかじゃなかったんだ。本当は、くま父さんに会いに行っていた」
「……そうなの。そういうことだと思った。だって、あのときの水科君、ちょっとおかしかったもん。それで? なんでそんなに深刻そうな顔してるの? もしかしてお父さんになにかあった?」
「うん……でもそれを言うと、絶対君は傷つく。だから本当のところは言いたくないんだ」
「それでも、こうしてわたしたちは二人ここにいる……わたしを傷つけることだとわかっていても、話さないといけないことなのね」
 ここまで覚悟しているのならいいだろう。一言、一言がとても重い。
「くま父さん、最近お店に来なくなったじゃないか。あえ、実はFXをやっていたんだ」
「ウソ……FX?」
 その言葉を口にするだけでも嫌なはずだ。そう、FXは彼女の両親を奪った憎きギャンブル。それをくま父さんが隠れてやっていたなんて信じたくないだろう。
 ぼくは傷ついた彼女に追い打ちをかけなければならない。損失額を言わなくちゃいけないんだ。
「それで……いくら負けたの? 勝ったんだったら水科がそんな顔するはずないものね。言いづらいから、そんな苦しそうな顔してるんでしょ?」
「そうだよ。くま父さんは魔が差したって言ってた。ぼくもね、初めはくま父さんのことを責めたんだ。なんであんなにいい娘さんが三人もいてギャンブルなんてするのか……。ぼくはくま父さんを見損なった。そう言った。でも、見捨てることはできなかった。きっと、くま父さんは君たち娘のことを思って、資金を増やそうとしたんだ。そう思うと、どうにかして彼をかばってやりたくなった。君たちの家庭を壊れるのを見たくない。だからまず――」
「はっきり言って。いくらなの?」
「……百万円」
 日向はその場で倒れそうになる。ぼくは彼女との距離を一気に縮め、その体を抱きとめた。
「危ないっ!」
 彼女は目を閉じていた。そして体重をぼくに預ける。
「百万円……そんなお金あったの? ウチに」
「うん。福袋とかけっこう売れただろ。その利益が積み重なって百万円の余剰金ができたんだ。それと、なんとかバズーカで円安がどうのこうの……ごめん、そこらへんのことは聞いていてもよくわからなかった。ぼくが言いたいことはこれだけだ。今回だけ、くま父さんを許してやってくれないか? 頼むよ」
 日向は再び目をつぶった。今、彼女はぼくの腕の中で眠っている。彼女の体は軽く、とても柔らかい。でも、やらしい気持ちなど微塵も湧かなかった。
 ぼくが願うのは彼女がくま父さんを許してくれること。その言葉が一番聞きたかった。
 ――約一分。彼女は心の中で、ずっと考えたのだろう。そして結論が出た。
 ぼくの目をまっすぐに見て、自分の両足でしっかりと立ち、こう言ったんだ。
「水科君がお父さんを許すんだったら……わたしも許すことにする」
 くま父さん! わかってくれたぞ。すぐ君に伝えたいよ。
「ありがとう。くま父さん、死にそうな顔してたんだ。これできっと安心するよ!」
「水科君……。最後まで聞いて。わたしも本当はお父さんのこと、見損なった。でもね、あなたが許すって言うんだったら、わたしも許す。最初で最後の過ち……だよね? もう二度とお父さん、こんなことしないよね?」
 ぼくは涙が出そうになった。聞いたかい、くま父さん? 君の娘はこんなに心が広い。胸を張っていい。自慢の娘だ。
「もちろんだよ。これでまだFXやるって言うんなら本当のバカだよ」
「でも千佳と由美子はどう思うのかしら? お父さんを許そうとするかな?」
 ぼくもそのことが一番心配だった。その理由は二人の気の強さだ。まだ小学生と中学生。感情のコントロールが難しい年頃でもある。二人がくま父さんを許すかどうかはまるっきり予想がつかない。
「なんとかいい手はないかな? いずれわかってしまうんだったら早いほうがいいと思うんだ。……君に説得できそうかい?」
 日向は首を横に振る。さすがにこればっかりはな……。
「正直に言うしかないんじゃないかな。わたしたちの口からじゃなく、お父さんが自ら……」
 正攻法でいくしかないってことね。確かに、あの二人に小細工が通用するとは思えない。
「わかった。じゃあ明日にでもこのことを二人に伝えよう。くま父さんにはぼくが言っておく。今日はくま父さんも出勤するしね。明日、どうやって謝るのか一日考えてもらうんだ」
 例え二人がくま父さんを許さなくても、ぼくと日向が必死にフォローすればなんとかなる。そう思っていた。

 授業が終わるとぼくと日向は、売るが屋に向かった。店にはくま父さんと千佳ちゃん、それとサトシがいた。
「くま父さん、こんちは」
「――あっ! 水科。天音も」
 このとき、くま父さんは日向が自分を許すかどうかまだ知っていなかった。だから不安でおどおどしていた。
「日向は大丈夫。わかってくれた」
 ぼくがそう言うと、くま父さんは胸を撫で下ろす。
 言いたいことはお互いたくさんあっただろう。だが、店には千佳ちゃんとサトシもいる。まだ全部言える状況ではなかった。
「さ、仕事しよう。くま父さん、どこからやったらいい?」
「えっと、まずは検品やって。……うん、そこから順番に」
 日向がくま父さんに視線を送る。くま父さんもだ。二人はこれで通じ合った。目で会話していた。
 くま父さんが千佳ちゃんと離れたときに言おう。明日、正直に二人の娘に謝るんだって。
 この日の作業はとても静かだった。千佳ちゃんがトイレに行ったとき、ぼくはくま父さんに明日のことを伝えた。くま父さんは「やっぱりそれしかないんか……」と肩を落とす。
「ぼくたちがついているから、ね?」
 ――そして運命の翌日。
 この日、くま父さん以外のクマは休みだ。久しぶりに五人(四人と一頭)が揃う。
「なんかさ、なんかさ。久しぶりだよね。こうやって旧メンバーが揃うの☆」
 千佳ちゃんが無邪気に笑う。
 くま父さんはちょっとひくつかせ、「そ、そやな……」と言った。
 謝るタイミングを見計らっているようだ。言い出しにくいだろうな。でもここは乗り切らないとダメだ。
 百万円を工面できればFXの件を隠すことはできる。でも、もしそれが可能だったしてもくま父さんは前のように娘と自然に接することができないだろう。一生、重荷を背負っていくことになる。
「――あ、あのな、千佳」
「ん? ……なに、お父さん?」
「あ、いや……なんでもないねん。ごめん」
「変なお父さん。久しぶりにお店に出たから調子が出ないの?」
「ま、まあそんなとこやな。はは……」
 ダメか。千佳ちゃんのこの笑顔をずっと見ていたい。そう思うのが普通だ。この調子だと、今日は謝らないって可能性もあるな。まあ、それはそれでいい。仕切り直しだ。タイミングというものがあるからな。
「そう言えば明日だったっけ?」
「え、なにが?」
「なにがって、母の日だよ。わたしたちはもうお母さんがいないからプレゼントを渡すなんてできないよね。だからカーネーションだけでもお墓に添えようかなって。お母さんがいない人は白いカーネーションを贈るんだったよね?」
「せ、せやな。赤より白のほうがきれいかも……」
 くま父さん、それ知ったかだよね? こういう真剣な話だと、いい加減に話を合わすのはやめたほうがいいと思うんだけど。
 ここで亡くなったお母さんの話が出たか。……これはもう今日は謝らないほうがいいな。
 母の日が過ぎるのを待ったほうがいいだろう。くま父さんもわかるよな。それぐらいの空気は読めるよな。
 今日、謝らないのだと思えば少し気が楽になった。千佳ちゃんが母の日のことを言ってくれなかったら最悪のタイミングになっていたな。そこまで頭が回らなかったな。危ない……。
「な、なあ。千佳。ワ、ワシな、その。言いたいことがあんねん」
 えっ? ちょっと待って。……ウソだろ? まさか言うのか? このタイミングで?
 そんなにクマって空気読めないのかよ。今はまずいって。
「なぁに? お父さん。さっきからずっと変な感じだけど」
「うん、ちょっとな。由美子にも聞いてほしい。あのな、ワシな……」
 やめろ、くま父さん。あまりに無茶だ。
「くま父っ――」
「FXでな、負けちゃった。百万円」
 言って……しまった。
 なんで?
 なんで今言うんだよ。くま父さん、それは間違ってるって。
 タイミング次第では少し怒られる程度で済んだかもしれない。なのに……心理的に追い詰められたからなのか? 罪の意識に耐えられなくなったのか?
 ぼくは日向に目をやる。彼女もぼくと同じだ。まさか今言うか? その一点だった。
「……今、なんて言った?」
 さっきまで明るかった千佳ちゃんの声が低くなる。一見、表情は穏やかだが、明らかにいつもとは違っていた。
 聞き間違いだろうか? 彼女はそれを確かめた。つまり、チャンスをもらえたんだ。言い直すというチャンスを。
 これでもうわかっただろう。言っちゃあいけない。
 言い間違いだと言うんだ。コンビニでファックスの操作をミスして百円損してしまった。だからファックスに負けたんだとか。……無理やりすぎるか。
 FX、百万円、負け……ダメだよ。わかっちゃうだろ。言い逃れできない!
「FXで負けた。ごめんな。つい、やってしまった。ワシ、もっとたくさんお金増やそうと思って。皆にもっと楽させてあげることできるかなぁと思って」
「なにそれ? FXで負けた? FXしたの? ねえ! FXしたのッ!!」
 怖い。千佳ちゃん、怒ったらこんなに怖いんだ。
 元から声の大きい子。さらには怒鳴ると店の壁に声が反響し、それはとても大きな声量となる。
「悪い。やってしまった……」
「こっち向いてよ。なに下ばっか見てんのよ。ふざけんなよ!」
 マジ切れだった。思った以上に最悪な展開だ。フォローしようにも彼女の迫力で、なにをどう言っていいのか全然わからなかった。
 ……日向だってそうだ。妹のこんなに怒る姿なんて見たことないだろう。くま父さんは死を観念した動物のような顔になっている。
 例えたら複数のライオンに囲まれた仔鹿ってとこか。抵抗を忘れ、すべてを受け止めるしかない。完全に受け身な状態。
「百万円負けたって言うの? それ、お店のお金なんだよね? お父さんのお金じゃないでしょ。なに勝手に持ち出してんのよ? FX? ……ホント、呆れるわ。バカでしょ? なにがお父さんよ。勝手にお金減らしてきて。FXで負けた? よくそんなこと言えたわよね? 死んだら?」
 言い過ぎだった。見ていられない。
「千佳ちゃん、怒る気持ちはわかるよ。でもね――」
「黙っててよ、お兄ちゃん! わたしはっ! この、クマと話してんのよ!」
 彼女の中ではもうお父さんではなく、クマだった。……くま父さんの目にじわりと涙がこぼれ落ちそうになる。
「うっ……う……」
「泣くなよ。どうするんだよ、クマ。百万返せるのか?」
「ごめん……ごめんな。ワシ、ちゃんと返すから。お金、ちゃんと返すから」
「ふざけんな、てめぇ!!」
 千佳ちゃんがくま父さんに掴みかかる。そして、顔を殴った。
「ぐっ!」
「なにがお父さんだ! 今まで! そんな奴とは思わなかった。今までお前のこと、お父さんって言ってた自分に、腹が立つ! いらなかったんだ。お前なんか、初めからいらなかったんだよぉっ! 出てけぇっ!!」
 くま父さんは壁に背中を打ちつけた。そのまま起き上がろうとはしない。……涙は止まることがなく、口を切ったのか体毛を赤く染めた。
 小さく、「ごめんな、ごめんな……」そう何度も呟いた。
 ……もういいじゃないか。許してやれよ。誰にだって間違いがあるじゃないか。今までのことを思い出せよ。どれだけくま父さんに救われてきたんだよ?
 もう許してやれよ!
 ――ガシャンッ!
 なにかがぶつかった音。それがすぐなんであるのかはわからない。
 ――ガシャンッ、ガシャンッ!
 よく見ると、それがフィギュアだということがわかる。……って、それ。まだ買取が成立してないやつなんじゃないか?
 投げるのは由美子ちゃんだった。
「うわっ、痛っ!」
 次々に投げられていくフィギュアはくま父さんに命中する。音がするときは壁や什器に当たっていた。
「由美子ちゃん、危ないよ! やめて!」
 しかし、ぼくが言っても由美子ちゃんは投げるのをやめない。
 手元にあったフィギュアがなくなると、今度はCDやゲームソフトをくま父さんに投げつける。
「由美子ちゃんっ!」
「いた、痛いっ! やめて!」
 くま父さんは腕で自分の顔を守る。たかがCDとは言っても当たると痛い。それも一度に三枚から五枚ぐらいまとめて投げていた。
 CDの類がなくなると今度はカップや皿を投げ出した。
「――痛いっ!」
 くま父さんはそれに思いきり頭をぶつけてしまった。当たったところからは血が流れる。
 由美子ちゃんはまだ投げた。投げる力が衰えることはない。むしろ次第に強くなっていった。
 ぼくはこれ以上、くま父さんが傷つくのを見ていられない。何度も何度もくま父さんの頭や体、腕に物が当たった。
「やめろよ!」
 ぼくはくま父さんの前に立った。飛んでくる物を手ではたき落とす。
「水科……そこどけったら。あんたに関係ないでしょ。ウチの家族の問題よ」
「もう深く関わってんだよ。今さら他人事だと思えるか。俺も家族だよ。お前の気持ちも、くま父さんの気持ちもわかる! だから落ち着け。こんなことして、なにに……?」
 由美子ちゃんが投げるのをやめていた。こっちに近づいてくる。なにかを持って。
「由美子ちゃん……?」
「どいてなよ。痛い目に遭いたくなかったら……!」
 持っているのはカッター。ダンボールの梱包を解くときなんかで使うやつだ。
 やめろ、それはまずい。ちょっとしたケガだけでは済まない。やめてくれ!
 ぼくがこの道を空けたら彼女はそのまま、くま父さんに向かって切りかかるだろう。
 道は空けない。なにがあっても。
「水科ぁ……そこをのくんや。ワシが悪い。ワシが悪いんやぁ……」
「違うよ。間違ってる! 娘が父親にカッター突きつけて……そんなの絶対間違ってるって!」
「父親なんかじゃない。父親はとっくの前に死んだわ。そこにいるのはクマよ。汚らわしいクマ! どうしようもないクマ!」
 完全に目がイっちまってる。彼女がカッターを持ったまま振りかぶる。その隙にぼくは飛びかかるつもりだった。
 左手はもうどうなってもいい。できるだけ腕を伸ばして、彼女からカッターを奪い取ろうとした。しかし……、
「――んっ? ……な?」
 由美子ちゃんの手首を日向が両手で握った。なんて危ないことを。
「天音ねえっ!」
「もうやめよ、由美子。お父さんは間違えた、それをお父さんは自分で認めているじゃない。あなたたちに許してもらいたくて正直に言ったの。なんでだかわかる? 本当に悪いことしたって反省しているからなのよ。あなたたちにはウソをつきたくなかった。あなたたちを愛しているの! ……あなたはそんなお父さんを許してあげれる心の余裕さえないの?」
「うるさいっ! 黙れ! あれをお父さんだなんて言うな! FXやるような奴なんて父親でもなんでもない。FXやる奴なんか死ねよっ! なくなれよ、FX! ……また、わたしらを苦しめるのかよぉ」
 ――カシャンッ。
 それは由美子ちゃんがカッターを落とす音だった。日向のこの行動がなかったら、ぼくもくま父さんも危なかった。彼女に感謝だな……。
「――落ち着いた? 由美子」と日向が言った。
 由美子ちゃんは力なく「家に戻る」とだけ呟き、店を出ていった。同じようにして千佳ちゃんも。
「最悪の最悪……まではならなかったな」
 でも限りなくそれに近い。ここから信頼を取り戻すのは並大抵のことではないだろう。
「くま父さん、顔を上げなよ。もう、大丈夫だからさ」
 くま父さんは両腕をそっと下ろす。涙と血で、ぐしゃぐしゃの顔だった。
「どこか痛む?」
「心の傷が、ズキズキとなぁ……」
 体に受けた傷はそのうち治る。でも心に受けた傷はそう簡単には治らない。彼女たちにもそれは言えることだった。