サイコー君のくま父さん

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『神の子』 その5

第二章 前に進む

  1 鬼となる

 中学校。まともに登校できるわけがない。父もそれを理解していた。いくら時が過ぎても心の傷は癒えない。いっそのことぼくもあのとき死んでいたらよかったのかもしれない。
 家は父が勤める研究所の近くの新築だ。今はぼく一人だけが住んでいる。母は妹が死んでおかしくなってしまった。病院で静養しているが、治る見込みは特にない。母も心の病。完治するにはその原因を根本から取り除かなくてはならなかった。
 定期的に父から食事が送られてくる。金はぼく専用の口座と通帳がある。そこには数千万もの金が入っていたがなにも欲しいものはなかった。
 ぼくの欲しいものは過去そのものだ。楽しかった生活。それだけが欲しい。明るく家で振る舞う妹。優しくてきれいだった茜さん。
 ずっと家で塞ぎこんでいた。そのまま中学を卒業する。高校へ進学はしなかった。ぼくは廃人のようにただ眠る日々だった。体を起こすこともしない。食事もまともにとっていない。
 それでもなぜ死なないのだろうか。こんなときだけ人間の体は丈夫にできるんだな。早く……死んだらいいのに。
 塞ぎこんで四年ほどがたった。普通に高校に進学していればもう卒業というところか。ぼくにもう普通なんて言葉は適さない。たぶん自ら死なない限り、今の状態が続くのだと思った。
 そんなとき、父がある贈り物をくれた。もう十八になったぼくだ。なにをもらっても感動することはなかった。初めは父の行動がわからなかった。なぜ今になってぼくになにかを贈ろうとするのだ? すると父は言った。
「こいつを育てろ。悪魔のように強くな」
 父は一人の少女をつれてきた。まだ小学生にも通っていないような小さな女の子。……育てる? 悪魔?
 すぐに理解できるはずもない。よく見ると彼女の首には首輪がされていた。それには鎖がついている。父は鎖の先を持っていた。まるで犬と飼い主だった。
 こんなことをする父ではない。ぼくは父が狂ったのだと思った。ただ、少女を見て少しだけ妹のことを思い出した。あまりにも早く死んでしまった妹……。もう一度会いたいが会えるわけがなかった。
 すぐに父の不可解な行動を止めようとした。女の子はきょとんとしている。彼女はこれが遊戯の一つとでも思っているのだろうか。その表情はあまりも無垢だった。
 なにも知らない少女。だが彼女は美しかった。
「どうして? 父さん……」
「四年間、研究所で育てた。これからは研究所に代わってお前が育てるといい。言葉は理解できるし、運動もできる。英才教育をするなら今が絶好のタイミングだ。彼女が誰だかわかるか?」
「誰? わからないよ。とにかくひどいことはやめて。父さんはどうかしてる。ぼくには父さんがしていることが理解できないよ」
「充電期間だったんだよ。わたしも、お前も……そしてこの子もな。広造、お前は知っているだろう、彼女の名前を。ただ忘れただけだ。四年という期間は長いようで短い。彼女の名前はマーラだ。覚えているだろう」
 マーラ。そう名づけたのは父だった。
 マーラはサンスクリット語で『殺すもの』という意味だった。このような名前をあえて名付けるなど普通では考えられない。だが、当時ぼくもその名前に賛成した。決してあの悪夢を忘れないように。
 ……でも、ぼくは忘れていたんだ。フツフツとあのときの感情が蘇ってくる。それは復讐。茜さんが出産のときにそう誓った。彼女の子どもを使って神を倒す。子どもは神の素質を持って生まれてくる可能性が高い。……マーラで神を殺すんだ。
 彼女は生まれてきたものの、初めはただの赤ん坊だ。特別他の子と変わりはなかった。育児は研究所の人たちに任せた。そして四年……。
「マーラ……お前はマーラか?」
「うん、そうだよ。お兄ちゃん誰? 初めてだよね。よろしくね」
 少女がにっこり笑い、握手を求めた。ぼくはその笑顔につられ、右手を差し出す。しかし、その横には鬼のような形相でぼくを睨む父がいた。
 父が鎖を引っ張る。
「痛いっ!」
 当然、彼女の首は鎖に引っ張られ、顔を歪めた。
「痛いか? ……ん?」
「い、痛いです。お願い、やめて……」
 彼女の顔から笑みが消える。父は表情を変えずに言った。
「初めが肝心だ。神を倒すには鬼や悪魔の類になるしかない。情は必要ない。わたしも変わる。だからお前も変わるんだ。……わたしは許さない。娘を奪った男を」
 父の拳が強く握られる。この人は忘れたことなんてなかったんだ。ぼくが四年間、閉じこもっている間も、父はきっと研究を進めていた。神に勝つための研究を。
「……ぼくが育ててもいいの? 具体的にはどうすればいい?」
「本格的な訓練は八歳になってからだ。その頃になると、さらに体はできてくる。それまでにすることは洗脳だ。お前はマーラに自分の父を憎き存在だと頭の中に叩き込ませる! お前は殺人マシーンだ! 闘うことだけに一生を懸けろ。それが我が娘を奪った男の娘の定め……。恨むならお前の父を恨めとな」
 それを……ぼくにさせるのか?
「お前ならできるだろう。いや、お前にしかできない。神と接触した生存者はお前だけだ。お前は鬼になれるか? 神を殺すために。まずはそれを聞こう。大前提だ。もし、お前に神を倒す覚悟がないのなら、引き続きマーラは研究所で育てる。……聞くぞ、お前はマーラを育て、神に対抗する気はあるか? 五秒以内に答えろ」
「……ある」
 五秒もいらない。それをするしか残された道はない。ぼくが今まで死ななかったのには理由があったんだ。ぼくは神を倒すことを使命だと思った。ぼくにしかできない。絶対に神を殺してやる!
「ここには研究所の人間をたまに来させるとしよう。わたしはまた長い間、海外に行くつもりだ。もちろん少しでも神に勝てる可能性を探すために」
「わかったよ。マーラはぼくに任せて。……立派な殺人鬼にしてみせる」
「マーラの脳には小型の爆弾を仕掛けてある。反抗すればそいつで脅せばいい」
 脳に爆弾を? そこまでするのか?
「それは本当なの、父さん」
「本当だ。爆発はほんの小さなもの。だが、脳に与える影響は大きい。ま、確実に死ぬだろうな。解除するには手術で爆弾を取り除くしかないが、それができる医者は世界に十人もいない。スイッチは研究所にある。運動で起爆することはない。次に会うのは四年後……お前は二十二。マーラは八歳になったときだ。学校に通えとは言わん。しかし神に勝つには膨大な知識が必要だ。特定の科目の勉強だけでもしておけ。本気で神を倒したいならな。教材となるものは後日、家に送ってやる。これはマーラの首輪の鍵だ。お前が好きなように使え」
 ――チャリーン。
 床に落ちた鍵を拾った。見上げると部屋にはもう父の姿はなかった。

 父は家を出た。部屋にいるのはぼくとマーラだけ。二人だけが住むのに今の家は広すぎた。
「あ、あの……これ、はずしてくれませんか?」
 首輪だ。大型犬の首輪……二センチほど伸び縮みするスプリングリードか。
 リード長さは全長約百二十センチメートル、皮革部九十六センチメートル、スプリング部十二センチメートル、フック部八センチメートル、重さは二百四十五グラムといったところか。
 首輪のサイズは首周り四十~五十二センチメートル。幅は約三・五センチメートル。
 ぼくが鍵を持っていることはマーラも気づいている。このまま彼女が求めるように錠をはずしてやるか? いや、首輪は必要だった。主従関係をはっきりさせてやる。ぼくは今日から彼女を悪魔にするんだ。当然、性格は偏ったものにする必要がある。
 初めが肝心。まさにその通りだった。
「首輪ははずさない……嫌か?」
 マーラが頷いた。涙目になっている。
「犬を見たことがあるか? お前はずっと父の研究所で暮らしていたんだろ?」
「犬……本なんかで見たことはある」
「そうか。犬には首輪がされてあるな。それがなぜだかわかるか?」
「それは……車にはねられたら危ないから」
「違う。犬の動きを制限しやすいからだ。飼い主が真っ直ぐ進もうとして、犬が右に曲がろうとする。当然、飼い主はリードでそれを修正するよな」
「リード? ……なに、それ」
 相手は四歳だ。言葉で理解できることは限られている。だったら体で覚えさすしかないな。
「――立て」
「えっ、なに?」
 マーラはすでに立っていた。始めの命令が間違ったことにぼくは自分をバカだと思った。
 ぼくも成長しなくてはならない。人間が鬼を育てられるわけがない。ぼくも……いや、俺も鬼になる必要があった。
「進め。前にだ」
 マーラは俺の言うことを聞いて、前に進んだ。しばらくすると立ち止まってしまう。マーラの前には壁があった。
「なぜ止まる? 俺は止まれなど言った覚えはないぞ」
「だって……前に壁があるし……」
「知っている。それでも進め。前に歩け」
 マーラは俺を睨んだ。俺に敵意をむき出しにしている。だが、お前の飼い主は俺だ。俺の言うことは絶対。それを体でわからせてやる。
「歩け。二度は言わない。次に命令に従わないと、お前を傷つける。いいな?」
 彼女はうつむいたまま歩いた。頭、手、膝などが壁に当たる。
「よし、いい調子だ。もっと歩け」
 ガンガン……ガンガン。鳴り響くのはマーラの体が壁に当たる音。一見無意味な行為に思えるが、意味はある。まずはこいつを絶望させてやろう。俺同様にな。
 次第にマーラの膝が青くなってきた。内出血でもしているのだろう。
 内出血とは、体内の血管が破裂するなどして皮下で出血する現象のことだ。
 四肢や体表の内出血は傷病者が痛みを感じやすく、また他覚的所見でも分かりやすい。
 大動脈の他、肝臓・脾臓など血管に富む臓器の損傷は、わずかな傷でも出血が止まらず、最悪死に至る場合もある。
「……どうだ、痛いか?」
「いつまでこんなことやらせるつもりなのよぉ……」
「まだ三十分ほどじゃないか。がんばれ」
「がんばるもなにも……あなた、おかしいんじゃないの?」
「おかしいさ。さあ、もっと! 手を振って!」
 マーラはとうとう歩くのをやめてしまった。涙を手でこする。
「……おい、誰がやめていいって言った? 歩けよ、さあ」
「もう許して……わたしがなにをしたっていうの……」
「いいところに気がついたな。お前は自分の父親のことを知っているか?」
「知らない……」
「なにも聞いていないのか? ……そうか、今までは自由に育てられたんだな。なにも不自由しなかっただろう。俺にはわかる。お前の人生のピークは昨日までだ。これから楽しいことなんてなにもない。地獄だ。……なぜ自分だけそんな目に遭わなくちゃいけないのかって目だな。教えてやるよ。お前のオヤジが俺の妹を殺したんだ」
「え……?」
「お前のオヤジは殺人鬼だ。わかるか? お前は殺人鬼の娘。当然、罪を償わなければならない。絶望してくれ。普通に生きようとするな。お前は俺と同じように普通の人生はもう、ない」
 それからマーラを歩かせて三時間。とうとうマーラは気絶してしまった。
「……ま、こんなところか。少し休憩だ。お前には布団もなにもないぞ。そこで寝転がっておけ」
 マーラを歩かせている間に俺は考えていたことがある。必要なものは父が勤める研究所のスタッフに持ってこさせた。
 マーラが目を覚ましたときにはそれら一式が家に届いた。もう日は暮れかかっていた。
「ん……あ」
「起きたか? ずっと歩き続けた褒美だ。お前を起こさずに寝かせてやったんだぞ。嬉しいか?」
「……はい」
 そろそろ立場がわかってきたようだな。マーラは死んだような目をしている。明らかに覇気がない。でも、これは俺の意図したものだった。こいつに明るさなど必要ない。
「食事にしょうか。腹は減っているか?」
 マーラが頷く。
「よし、パンと肉をやろう。それ」
 フランスパンとソーセージを二本投げる。ついでに五百ミリリットルの水も放り投げた。
 膝を痛めているマーラは歩くことができなかった。這って食べ物があるところまで移動する。
「――待て」
 俺の言葉にマーラは素直に反応した。……まるで犬のようだな。我ながらうまいこと調教できたようだ。
「食べていいですか、ご主人様……そう言え」
 マーラが無言で俺を睨む。……前言撤回だな。犬は飼い主を睨んだりしない。
「どうした、腹が減っていたんじゃないのか? だったら食えよ。さあ、言わないのか?」
「ご主人様……食べてもいいですか?」
「ダメだ」
「えっ? だって食べていいって……!」
「ウソだ。世の中にはウソが存在する。俺を見てどう思う? 悪だと思わないか? お前も悪になれ。誰も信用するな。……お前の脳には爆弾が仕掛けられてある。俺がその気になったらお前をいつでも殺せることを覚えておくがいい。さあ、寝ろ」
 俺の指さすところには檻がある。子どもとはいえ腰を曲げないと、入れないほどの小さなものだ。
 この大型犬用鉄骨サークルは溶融亜鉛メッキ仕上げで優れた防錆効果があり、大気中や海水中、土壌中においても優れた耐食性能を発揮する。
 幅は六十二センチメートル。高さ百三十センチメートル。
 格格子パイプの太さは十六ミリメートル。パイプとの間隔は八十ミリメートル。そこからできる隙間は大人の拳が入らないほどだ。鍵は外からかける仕様になっている。
「こんなところに……入るの?」
「そうだ。ここがお前の家だ。よかったな。たぶん一畳ぐらいはあるぞ」
 マーラがなかなか檻の中に入らなかったので、俺は後ろから蹴飛ばしてやった。
「やっ、痛い……やめて!」
「さっさと入れと言っているんだ。言うことを聞かないとこうなることを覚えておけ」
 マーラが檻の中に入ると俺は錠に鍵をかけた。その中に先ほどの食料を投げ込んでやる。
「食え。餓えなんかで死なれては俺が困る」
 食事を一切とることができなければ、筋肉などからアミノ酸などの成分が分解されていき、生体維持に必要なタンパク質を合成することになる。しかしそれには限界があり、やがて筋肉はやせ細ってしまう。
 原料がなくなれば最低限の体温も維持できなくなり、やがて代謝不全が起こり、体の機能全体が不全状態になる。
 腹減りを感じるうちはまだ大丈夫だが、神経細胞――特に脳細胞に必要なブドウ糖などが行き渡らなくなると、次第に眠くなり、時間経過と共に昏睡状態になっていく。
 その状態でしばらくは生きていても、意識がないまま全体の機能不全が起こり死に至る。
 部屋の明かりを消し、俺はこの部屋を去った。
「待って! 怖い! 明かりを消さないで!」
 なぜ人は暗闇を怖がるのか? ……それは人間の目は光を受けることによって様々な器官が働き、物の色や形などを区別できるので、光の入る余地のない暗闇では物が見えにくく、恐怖や不安を感じやすい。
 聞く耳は持たない。暗闇の中で過ごすがいい。お前も俺も今日から闇の人間だ。
 俺は自分の部屋に戻った。机の前に座る。
 ……ポタ、ポタ。
 涙か。久しぶりだな。俺もまだ甘い。まだまだ甘い。
 心が痛む。だが、こんなことで心を痛めてどうする? 相手は神だぞ?
 普通なことをしていては勝てない。特別な存在に勝つにはこちらも特別でなければいけないからだ。
 マーラだけ苦しい思いをさせるつもりはない。俺も自分なりにけじめをつける。
 俺の知識は中学二年生で止まっていた。それから四年間は空白の時間だった。だが、立ち直るためには必要な時間だったといえよう。これから失った時間を取り戻し、世の中のあらゆる知識を身につける。時間はない。とりあえずマーラが八歳になるまで。四年の間に理系の大学卒業ぐらいの知識はつけてやる。
 睡眠時間は毎日二時間ほどだった。
 睡眠の目的は心身の休息、記憶の再構成など高次脳機能にも深く関わっている。
 特に創傷治癒、肌の新陳代謝は睡眠時に成長ホルモンの分泌が促進される。その他に免疫力の向上やストレスの除去などがあるが、完全に解明されていない部分も多い。
 短期的には睡眠は栄養の摂取よりも重要とされる。人は断眠を続けると思考能力が落ち、妄想や幻覚が出る。一定の期間、強制的に眠らない状態でいさせると最悪死ぬケースもあるのだ。
 これを維持できたのは執念だろう。絶対に千依と茜さんの仇をとると誓っていた。

 ある日、俺はマーラに生と死について考えさせた。極端な話、弱肉強食の世界では強者は弱者を好きにしていいのだ。
「マーラ、お早う……」
「お早うございます、ご主人様」
「そうだ。俺が主人で、お前は俺のために生きる存在だ。わかっているな?」
「はい。仰る通りです」
 日々行った洗脳による賜物だな。もうマーラは俺に逆らうことはない。絶対服従を理解しているようだ。
「お前が普段食っている肉。あれはなんだかわかるか?」
「肉? ……それは牛や豚でしょうか?」
「そうだ。つまり生き物だな。お前が食った牛も豚も元はといえば生きていた。そいつを誰かが殺して、加工してお前は肉を食っている。肉はうまいか?」
「え……はい」
 食肉用の屠殺に関しては、血抜きは肉の味を保つために必要な処置である。心臓が動いているうちでないとうまく血抜きできない。すぐにやるのはそのためだった。
 また、どんなやり方をしようが、死ぬときには動物も人間も脱糞脱尿する。それは糞尿を漏らさぬよう締めている筋肉が緩むからだ。苦痛とは無関係である。
 人間のために殺されていく動物に思いを馳せるのは大事なことだ。しかし、まともな知識を得ようとせず、ただ残酷だと泣くだけのような薄っぺらな弱い精神では、これからはとてもやっていけない。
「なぜ下を向く? 誰もがやっていることだ」
 俺は布袋を持ってきていた。その中から取り出す。鶏だ。今朝、首を締めて殺した鶏だった。正確に言えばまだかろうじて生きているがな。だがもはや虫の息だ。
「これはわかるか? 鶏だ。お前も食ったことがあるだろう。唐揚げにしたり、鍋にしたりな。うまいよなぁ? ……返事をしろ」
「はい、おいしいです」
「俺も食う、肉を。しかし、このまま食うわけにはいかん。ちゃんと加工をしないとな……こんなふうになっ!」
 ――ダンッ!!
 鶏の首をナタで切断。大量の血が飛び散る。床はもちろん、俺やマーラにも血がかかった。
「あ……あっ……」
「わかるか? これが血だ。赤いだろう? 今、この鶏は死んだ。首をはねられたんだ。そりゃあ死ぬしかない。覚えておけ。どんな生物でも首が弱点だ」
 だが、神は首をはねられても死ななかった。しかしこれは今言うことではない。何事にもステップがある。まずはマーラに死について教える。神について具体的なことはもっと先の話だ。
「この鶏、俺が焼いてやろう。そいつをお前が食うんだ。焼き鳥だ。だが、味付けはしないがな。羽根もついたままだ。嫌ならお前がむしり取れ。食わないのならお前に一生飯は与えない。いいな?」
 俺が焼いた鶏をマーラは食った。まあ、食うまでに半日時間がかかったがな。その頃になれば肉も固くなっている。
 
 翌日、マーラに動物を殺させることにした。初めは魚。次に蛙、ひよこ……。で、次が難しい。俺はマーラにうさぎを殺させることにした。
「うさぎだ。これで今日の締めだな。こいつを殺せ」
 もちろんうさぎは生きている。こいつぐらいの年齢ならうさぎは可愛らしい動物でしかない。食べる対象などと思ったことはないはずだ。
「これを? うさぎを……殺すのですか?」
「そうだ。殺して皮を剥げ。肉をスライスしてうさぎ鍋にしよう。どうだ、おいしそうだろう?」
 マーラにナタを渡してやった。彼女はそれを強く握りしめる。
 ナタは林業や狩猟などの山林で働く人々の用途に適した刃物の類である。
 主に枝打ち、木を削る、雑草を切り払う、動物を解体するなどの目的で使われる。
 もちろん人を攻撃するために作られたものではない。……が、持ち主の気が変わればたちまち武器となってしまう。
 全長が三百七十五ミリメートル。刃長は二百十ミリメートル。鋼を知り尽くした職人だけが叶える、伝統の甲伏せつくりの一品だ。
「それを使って俺を殺す気か? 俺は今、お前を支配している。殺せば自由が手に入るかもしれないな。お前の自由を奪っている首輪の鍵は俺の机の引き出しにある。殺してこの家から脱出してみないか?」
 マーラの震えは徐々に小さくなった。そして……俺を見た。
 その目はひどく冷たいものだった。この歳の女の子が見せる目ではない。地獄を知っている目だ。
「殺せ! 憎め! お前の敵は誰だ? 俺だろう? 力で抑えられているのなら、それを解くのに必要なものも力だ! そのナタは武器! 武器を持つと誰もが力を得ることができる。……ほんの少しだ。俺の首を数センチそいつでぶった切るだけでいい。それで俺は死ぬ。……さあ、やれよ。やれったら!!」
 マーラは後ろを振り向き、ナタを振りかぶった。そして……。
 ――ダンッ!!
 ……うさぎを、切ったな。
 ダンッ! ダンッ! ……ダンッ!!
 マーラが纏っている布一枚が真っ赤に染まった。それは元がどんな色だったかわからないほど。
 彼女の泣いた目がうさぎのように赤くなっていた。これでまた一歩成長したな。
「よくやった。だが、お前はもしかしてこう考えたんじゃないか? 自分の頭には爆弾が仕掛けられている。俺を殺してしまうと、その爆弾は一生取り除かれない。だから俺を殺そうとしなかった。……確かにその考えは正しい。しかしそういう状況でも闘わなければいけないときが来る。もし俺がお前をこの場で殺そうとしたらどうする? お前は闘わないまま死ぬのか? 答えろ」
「もう……やめてもらえませんか? 何匹も動物を殺した。でも、人殺しだけはしたくない」
「甘いな。そこを乗り越えなければ神になど勝てるはずがない」
「神……? それは、誰?」
「お前の父親だ。そうか、殺人鬼だとしか言っていなかったか。お前のオヤジは神だよ。名ばかりの神だがな」
「そんな……神様。神様って本当にいたの……でもそれがわたしの……」
「お前の思うイメージとはだいぶ違うだろうがな。神の存在を知って俺は絶望したよ。殺されかけた。気づいているか? 俺の左腕……これは義手というものだ。擬似の腕だ。俺の左腕と右足は本来のものではない。お前のオヤジによって失った。妹もな。お前はそれをどう思う?」
 まだこんな幼い子に話しても理解できるのか? 少し飛ばし過ぎたかもしれない。重要なことを一度に言い過ぎた。
「――立て、マーラ。お前の持っているそのナタで俺をぶった切ってみろ」
「やだ……お願い。そんなこと言わないで」
「そうか……何度言っても答えは変わらなさそうだな。今回だけだぞ」
 バ、バッババババババババババッバッッッ!!!!
 義手には銃が内蔵されている。フルオートで連射が可能なものだ。口径が小さく、反動も少ない。一分の間に五百発は弾が発射される。飛距離は約二百メートルだ。
 遠距離用の武器として小型ミサイルも搭載している。
 銃の弾はマーラの頭上を通り越して、壁に無数の穴を空ける。
 近年の銃の威力ついては弾によって、そのほとんどが決まると言っていい。
 まず、撃鉄が雷管を叩くことで着火。その爆発力で弾を射出する。威力を大きくしたければ火薬を多くする方法がある。
 弾を大きくすれば火薬を入れるスペースも多くなるので、威力が向上する。
当たり前だが爆発による衝撃も大きくなるので、銃もそれに耐えられるよう頑丈にしなければならない。
 銃の種類というは特定の弾を撃ち出す射出機のようなもの。
 そして、威力に関しても大きく二種類に分かれる。それは貫通力と衝撃力だ。
「……銃だ。こいつと比べるとお前の持っている武器はなんて原始的なもんだ。強い者が勝つ。お前では俺に勝てない。本能が働いたのか、俺と闘わないことを選んだお前の選択は間違っていなかったかもな。今日はこれで終わりだ。よく休め」

 こんな調子で俺とマーラの二人の生活が続く。
 本心で言えば俺は彼女に恨みなど持っていない。マーラは茜さんの娘でもあった。悪いのはすべて神なのだ。この子もかわいそうな子だ。本当なら同情してやりたいぐらいだった。……だが、俺たちにはこの娘の力が必要だ。わかってくれとは言わない。神を殺すことができたら俺は死んでもいい。むしろそれを望んだ。
 この俺の考えがマーラに気づかれそうになった出来事がある。いや、実際に気づかれたかもしれない。
 この日、朝になると俺はいつものようにマーラを閉じ込めている檻の前にやってきた。
「――おい、朝だ。訓練を始める。今日は簡単だ。お前は一歩も動かなくてもいい。スプラッター映画だ。これを立て続けに五本観る。十時間ぐらいで終わるだろう。……なぜこっちを向かない? こっちを向けェッ!!」
「……はぁ、は……ぁ……」
 様子がおかしかった。俺に反抗しているわけでもない。檻の中でマーラはぐったりしていた。
「マーラ……どうした、風邪か? 風邪ぐらいで訓練が休みになると思うなよ。さあ、こっちを見ろ。それとも殴られたいのか?」
「はぁ、はぁっ……ぁ……」
 彼女はゆっくりした動作でこちらを振り向いた。
「よし、甘えるな。一日足りともお前は……う」
「はぁ、はぁっ。はぁ、はぁっ……ぅあ……」
 なんて顔している。額が汗でびっしょりだ。顔色が悪い。仮病でないことは確かだ。
 そしてマーラはまた倒れてしまった。
「マーラ! だらしないぞ! 起きろ!」
「…………」
「おい……起きろ、マーラ。起きろっ! 命令だ!」
 俺はマーラの足を掴んで鉄格子にぶつけてやろうと思った。――が、彼女の体に触れた途端、まるで火傷でもしたかのような高温を感じた。
「うっ??」
 ……この高熱、まずいかもしれない。
 人間は四十二度以上の高熱が長時間続くと意識障害、不可思議な言動や行動、過呼吸、ショックなどの症状が重複して起こる。
 さらに重篤となれば体内の血液が凝固し、脳、肺、肝臓、腎臓などの全身の臓器の障害を生じる多臓器不全となり、死亡に至る危険性が高いとされている。
 もしマーラが死んでしまっては、こいつを使って神を殺す計画も水の泡だ。彼女が唯一の手段だった。マーラを失うことはすべてを失うことになる。……二度と千依と茜さんの仇をとることができなくなる!
 俺は急いでマーラを狭い檻の中から出した。
 カチャカチャカチャ……。あせっているときは手が震えるもので、ついもたついてしまう。こうしているときもマーラは衰弱し続けるのだ。
 彼女を檻から出すと、すぐにソファに移した。布団をかけ、氷枕を用意する。
「はぁ、はぁ……ぅ」
「大丈夫か? しっかりしろ! マーラ!!」
「う……ぅ、なん、なんで?」
 俺がお前を看病するなど思っていなかったのだろう。そうだ、こいつからしてみれば俺なんか悪魔のようにしか見えない。その悪魔がお前を助けようとしているのだ。情けない顔をして、懸命に動く俺の姿は滑稽だったろう。だが、俺はお前を失いたくはない。これ以上、誰も失いたくはなかった。
 体温計を脇に挟ませた。あとは……なにをすればいい? 研究所に電話するか。あそこなら医者もきっといるはずだ。でもそれをやってしまっては……。
 俺はなにかあったら研究所を頼ってしまう。それが例え一回でも、俺はこれからも頼り続けるだろう。
 俺はマーラと二人で強くなるんだ。こんなことでうろたええてどうする? 神と闘う前に彼女が風邪で死ぬだと? ……まさか悪い病気じゃないだろうな。もしそうだとしたら……。
 混乱していた。その姿を見て、マーラは言った。
「大丈夫です……ちょっとだけ楽になりました」
 久しく見ていなかった笑顔だった。俺は今、こいつを助けたい。心からそう願っている。
 俺はマーラに洗面器を渡してやった。
「これは……?」
「気分が悪ければ吐けばいい。俺はちょっと出かけてくる。……すぐに戻るから」
「はい。行ってらっしゃい」
 どこでそんな言葉を覚えた? お前は忘れたのか? 俺とお前は飼い主と犬だ。飼い主が……犬を守ろうとする。俺は鬼になりきっていない。神以上の残虐性を持つことを目標にした。だが……今の俺の行動は矛盾している。
「お名前……聞かせてくれませんか?」
 俺はこいつに自分の名前を言っていなかったのか。でも、なぜ今になってそんなことを言う?
「宮崎……広造」
「広造様、ごめんなさい。ごめんなさいね」
 それはどういう意味だ? お前は俺を憎んでいるはずだ。それもとてつもなく!
「こんなときにご機嫌取りか? 本当の犬のようだな」
「いえ……あなたの妹さんをわたしの父が殺したのです。だから……ごめんなさい」
 四歳の女の子がこんなこと言うのか。……言わせたのは俺か。
 ……妹を、千依を思い出してしまった。優しくて、気遣いができて、それでいて泣き虫。マーラとちょっと似ているんだよな。茜さんのことも思い出した。でも今の俺のイメージしている茜さんは暗い顔だった。
 俺を見ている? 俺に対して、そんな顔をしているのか? ……間違っている。そう彼女は俺に伝えようとしているではないだろうか。
 神以上の残虐性を持とうとした。力でマーラを屈服させた。彼女にもそれと同じ考えを持たせようとしていた。でも……マーラはそうならなかった。
 あいつはひどい目に遭っても俺を恨んではいなかった。逆に……謝られた?
 俺は神に近づこうと思った。しかし、その考え自体が間違っていたのかもしれない。神に対抗できる力をつけることは大切だが、思考まで神のものに近づいてはいけないのだ。それだとあいつと同じになってしまう。
 人間をゴミクズのようにしか思っていない。そう、家畜。あいつは俺たち人間を家畜と言って、簡単に家に火を放った。俺もそう……なりかけていた?
「マーラ……」
「はい。なんですか?」
「今日で檻の中の生活はやめだ。部屋を一つ与える。それに食事もまともなものに……いいな?」
「……ありがとう、ございます」
 俺はそう言って外を出た。手に入れなければいけないものがある。風邪薬にスポーツドリンクなどだ。薬局は開いているか?
 外に出たのは久しぶりだった。もう何年も外に出ていない。
 食事はその都度玄関先で受け取っていた。だから買い物も久しぶりだ。
「太陽がこんなに眩しかったのか……明るい。この中で皆が生活している」
 考え方を変えよう。力を持つと同時に決して折れない強い心を持つのだ。それが神に勝てる最良の策だろう。
 前を歩いて進む。もう迷わない……。