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『ネクラだとなぜかモテるんです』 その2

  2 高倉笑美

 高倉笑美……そう言えば、確か自己紹介のときにそんな名前の人がいてた気がする。
「はい、これでもうお友達よね? じゃあ、勇戸君の部屋に上がろ。遊ぼー♪」
 このハイテンション……無理だ。
 ボクの顔の温度が一気に上がった。
 熱い……風邪でも引いたみたいに熱かった。
「いや……今日はやめて!」
「え、何で?」
「その、今日は……だってボクっ、高倉さんに会うの初めてだし!」
「初めてじゃないよぉ、もう二回ぐらい会ったじゃない」
「でも、ボク……本当にあなたのこと、覚えてなかったから!」
「……つまり、今日はもう帰ってくれ。そう言いたいの?」
 寂しそうに高倉さんがそう言った。
 ボクは母さんがかわいい女の子が来ていると言ったとき、すごく嬉しかった。おしゃべりもしたいと思った。
 そして現に来てくれた人はとてもかわいらしい女の子だ。誰が見てもその意見は変わらないだろう。
 でも、実際にこうやって会ってみると……まともに顔も見れない! こんなんでおしゃべりなんてできるはずがない。
 本当はすごく嬉しいはずなのに……何でなんだろう。
「ごめん……今日は帰って」
 彼女の顔を見ることはできなかった。
 今はとにかく彼女に帰ってもらいたかった。……心の整理が必要だった。
「……わかった。でも、次ならきっと部屋に上げてくれるわよね?」
「え……たぶん……?」
「やれやれ、じゃあ今日のところは帰るか。なんだか嫌われちゃったみたい」
 高倉さんが後ろを向き、ドアに手をかけたとき、ボクは言った。
 ……それはどうしても聞きたかったこと。
「高倉さんっ!」
「……ん、何?」
「どうして……来てくれたの?」
「言わなかったっけ? わたし、あなたのことが好きなの」
 ボクのことが……好き?
 そんなこと、生涯言われたことがない。こんな引きこもりでどうしようもない奴が好き?
 面と面を向かってそう言われても、しっくりこないものがある。
 ボクはこのいきなりの告白に、何をどう答えていいのかわからなかった。
 高倉さんはニカッと笑い、家を出て行った。
 ボクはその場でしばらく立ち止まっていた。
 好き……好きって、どうして?

 ――翌日。
「……学校、どうしよう。行こうかな、それとも……」
 昨日はずっと高倉さんのことばかり考えていて、ほとんど眠れなかった。……でも不思議なことに気分はよかった。
 今のボクの正直な気持ち。それはただ、純粋に彼女に会いたいという気持ち。
 どうしたら彼女に会える? 彼女は今日もボクの家に来てくれるだろうか?
 ……いや、その可能性は極めて低い。確実に会うにはボクの方から会いにいくことだ。そのためには学校に行かなくてはならない。
「行ってみようかな、学校……」
 この日、ボクは学校に行くことを決めた。
 父さんも母さんもビックリしていた。
 ボク自身も驚きだった。
 でも、高倉さんに会いたいという気持ちがボクを動かした。
 ……学校の行き方、覚えているかな?
 ボクの家から学校までは自転車で二十分ほどの距離だった。電車を使うという手段もなくはないが、それだと速くて四十分。電車がなかなか来なかったら一時間はかかる。
 雨の日ぐらいは電車で行くのがいいかもしれない。でも、二十分と一時間か……。
 例え濡れても四十分の差は大きい。
 今日は晴れていたので、何の迷いもなく通学手段は自転車だ。
 ……乗るのは久しぶりだ。うまく乗れるかな?
 家では体を動かしていないので体力は減る一方だった。
 ペダルをこぐだけでも息切れしてしまいそうだ。
 久しぶりの外出。そして久しぶりの高校だ。
 クラスの皆はどう思うだろう?
「あの引きこもり、久しぶりに来やがった」
「どうせまた来なくなるんだろう」
「うざい、お前なんか学校に来なくてもいいよ」
 ……ペダルをこぐ力が弱まる。
 ネガティブに考えると、どこにも行けない。
 ボクが学校に行って、誰かが迷惑するかもしれない。ボクなんかが学校に来ていいものだろうか。……考えすぎかもしれない。
 皆、こんなことを考えて学校に来ているわけじゃない。来たいから来ているのだ。
 でも、そんな正直にボクは考えられない。どうしても他人の目や気持ちを意識してしまう。
 ボクは学校に必要な人間なのだろうか。
 気づけば、自転車は止まっていた。
 ボクは道の真ん中でぼーっと突っ立ていた。
 誰もボクを気にする様子なんてない。誰もがボクを抜き去った。
 車のクラクションや自転車のベルを鳴らす音が聞こえる。……これ、邪魔だってことだよね。ボクのために作られたような道具。邪魔者はボク。
 ハンドルを大きく回し、ボクは学校へ行く方向と逆に向かった。……家に帰ろうとした。
 ここまで来たのに、ボクって奴は……本当にダメだな。
 ボクは来た道を引き返そうとした。が……
 そのとき、ボクの脳裏に彼女の顔が思い浮かんだ。
 あの天使のような人……ボクの女神。
 なんて、勝手に女神なんて言っちゃあ悪いよね。……たぶん、彼女が昨日言ったことは気の迷いだ。それか、きっとボクのことをからかったんだろう。
 ……でも、もしかしたらってことがある。
 何かの奇跡が起きて、彼女がボクのことを好きになった。こんなダメなボクを!
 会いたい、でも会えない。
 会いたい、でも会えない。
 ボクはその場でウロウロしていた。
 決められない。時間だけが過ぎていく。
「――もしかして勇戸君?」
 後ろ? 後ろ斜めからボクの名前が呼ばれた。誰……?
 振り向けば、そこに女神が……いや、高倉さんがいた。
 こんな偶然ってあるの?
「勇戸君。学校、行くの?」
「あ、う……その、えっとぉ……うん……かな?」
 何を言ってるんだろう。こんな優柔不断、絶対に嫌われる。
「そう……学校までの道のり、もしかして忘れたの?」
 クスクスと笑う高倉。……そうか、彼女はこういうふうに笑うんだ。それはとても可愛らしい笑顔だった。
 ボクの汚れた心が洗われるような気持ちだ。
 やっぱり高倉さんはボクの女神だ!
「一緒に学校まで行くぅ?」
「う、うん!」
 つい勢いでそう言って閉まった。ボクは彼女の後ろについていった。
 高倉さんの髪が、風で後ろへとなびく。
 高倉さんの香りが風に乗って、後ろにいるボクにその高貴な香りが漂ってくる。
 幸せだ……幸せ? そんなこと思うなんて最近あっただろうか。
 ボクは今、生きている。
 人生を楽しんでいるんだ。
 高倉さんがボクを変えてくれた。
 外の世界はこんなに楽しいものだったのか。ボクは今まで何をしていたのだろう。たった二週間といえど、学校を休んだのが悔やまれる。
 高校生活は一年で二百日程度。休日があるからね。
 そんな大事な中、二週間も休んだんだ。これは大きい。
 高校生活が三年まであるとしたら、学校に行ける日にちはわずかに六百日。
 百分の一以上、無駄に過ごしたことになる。ああ、ボクはなんてバカだったんだろう。高校生活はこんなに楽しいのに。
「わっ、わわっ……!」
 高倉さんの匂いにばかり気を取られ、段差に気づかなかった。ボクは体勢を崩して転んでしまう。
「あっ……う……」
 惨めだ。こんな……自転車でこけるなんて、小学生でもしないぞ。
 ボクは声を上げない。彼女に気づかれたくはなかった。こんな転んでいる姿なんか見られたくない。どうか、このままボクに気づかずに、先に学校へ行ってくれ。
 ――でも、彼女は来たんだ。ボクの元に……。
「大丈夫? もう、気をつけてよ。って、久しぶりだったらしょうがないかなぁ」
 こんなボクになんて優しい言葉……。
 涙が、溢れる……
 こんな姿、見せられるわけない。涙を拭う。見られてはいけない。
「ふふ、うふふ……いいわぁ、その顔」
 ……えっ?
「なっ、何?」
「いいわよ。そのネクラ具合。さ、立ち上がって。学校行くんでしょ?」
 彼女が手を差し伸べてくれる。でも……
 ネクラ具合? どんな具合だ?
 転んだだけでそんなこと言われるのか?
 でも、高倉さん……全然悪気があるわけではない。からかっているような感じでもない。
 まさか、ボクのネクラ……ダメっぷりが気に入ったの?
 ウソだぁ。そんなとこに普通、魅力があるわけないじゃないか。……もしかして彼女は普通じゃないの?
 姿形は女神のように美しい彼女。でも、性格が……ちょっと変?
 まさか。
 いや、でもあり得るのかもしれない。きれいな人でも性格が変わっているというケースはある。
 でもネクラが好きだなんて初めて聞いた。
 ……ウソだ。きっと何かの間違い。
 だってネクラが好きだなんて、訳がわからないじゃないか。
「ねー、何してんのよ。学校、行くよー」
「う、うん! すぐ行くよ」
 ボクは自転車を立て直し、再びペダルをこいだ。……頭の中はパニック状態だった。

 ――学校に到着。教室についてからボクは皆から注目された。
 それは仕方ないかもしれない。だって、入学して三日目に不登校になったんだ。だから約ニ週間ぶりだった。
 え、こんな奴いたの? みたいな顔で見られる。
 それは恥ずかしいというか、気まずかった。
 この注目されるというのは嫌なものだ。そして、よくわからない奴らがボクに決まってこう言う。
 何で休んでいたのか?
 そのたびにボクは体が……とか、家の都合で……とか、適当に言い訳をしなくてはならない。わずか数十分の間に何度も同じ質問をされる。
 そうそう、このクラスにはボク以外にも不登校の生徒がいるらしい。
 ……いや、正確に言うと登校はしているけど、授業には全く参加しないタイプらしい。昔の不良みたいだな。一体、どんな人なんだろう……。

 一時間目の授業が始まる。
 ボクはまっさらの教科書を鞄から出した。もちろん担当の先生を見るのは二度目かもしくは初めて。
 授業のたびに、いちいち名前と休んでいた理由を言わなければいけないのが面倒だ。
 でも、このやり取りも何日かしたら収まるだろう。
 ちょっと慣れてきた。周りの男子はボクに気軽に話しかけてくれる。
 何だ……けっこういいじゃないか。
 ボク、何で登校拒否していたんだろう。楽しいじゃないか。
 まだ高校生活が始まって二週間ということで、授業の方もそれほど進んでいない。テストもまだ一度もしていなかった。
 ボクさえその気になれば今からでも十分、巻き返しは可能だ。
 何となく、今日一日学校に来てみたけど、これだったら続けられるかも。
 ……それにボクには、ボクのことを好きだと言ってくれる人がいる。
 高倉さん……彼女が昨日、ボクの家に訪れてくれなかったら、きっと今日も家に引きこもっていただろう。
 ありがとう、高倉さん。君はボクの恩人かもしれない。
 その……ちょっと変なとこがあるのかもしれないけど。
 また今度聞こう。ネクラが好きだってやっぱり何かの間違いのはずだ。

 一時間目が終わり、二時間目がやってくる。
 そして三時間目……
 彼女がボクにところに来ることはない。ボクも彼女のところへ行こうとは思わなかった。
 席が離れているせいもあった。
 もう少しで昼休みだ。……そのとき、高倉さんに話かけてみようかな。
 ボク、これからがんばるんだ。そう決めた。
 彼女がいるからボクはがんばれる。
 これから学校にもちゃんと行こう。
 彼女に相応しい男になるぞ!
 そして、いつの日か彼女に言うんだ。
 付き合って欲しい……
 昨日までは引きこもり野郎だったのに、これは大した進歩だった。
 自分でも驚きだ。ボクにこんな勇気があったなんて。
 ああ、昼休みが待ち遠しいよ。残り二十分か。
 時計の針よ。もっと速く動いておくれ。
 もうすぐで彼女の顔が見れる。声が聴ける。……香りがかげる。

 キーンコーンカーンコーン……
 チャイムが鳴った。
 昼休み!
 彼女に会いに行こう。いきなり昼食に誘うか? ……いや、それはやりすぎだ。飛ばしすぎだった。
 まずは会話だ。日常会話。ちょっとずつ彼女との距離を縮めよう。
 高倉さんは他の女子と話をしていた。
 そして、その子が離れたとき、彼女の周りから人がいなくなった。
 チャンス!
 ボクはそのタイミングを逃さず、彼女に近寄った。
「あ、あの……高倉さん」
「ん……ああ、勇戸君ね。どう? 久しぶりの学校は」
「うん、すっごい楽しいよ。ボク、これから毎日学校に来る!」
「……そう」
「だから……その……良かったらボクと仲良くなって下さい!」
「仲良く……ふぅん」
 あ、あれ……すっごい冷めた顔してるんだけど。
 ボク、何かいけないことでも言ったかな。やっぱりいきなりすぎたのかな?
 仲良くなって下さい……なんて言うんじゃなかったかも。
「それ、具体的にどんな感じなの?」
「え……カラオケとか遊園地に行ったりとか……でも両方、まだ行ったことないけど」
「あ、ダメ。それ全然、興味そそられない。……ダメだわ」
 女神が……明らかに不機嫌になった。
「ごめん……いきなり言うことじゃないよね。でも、ボク……本当に嬉しくて。昨日、高倉さんが家に来てくれて本当に嬉しかったんだ!」
「嬉しい? それって楽しいってことよね? 引きこもりはもうしないの?」
「うん……高校生活がこんなに楽しいって知らなかった。たぶん、もう引きこもることはないと思うよ」
「そ、ならいいや。……君には冷めちゃった」
 え……
 ショックだった。
 彼女はその場から立ち去った。
 でも、ボクは……
 涙が……出てくる。
「うっ、うぅ……」
 もうこの場にいられない。さっきまでずっと楽しみにしていた昼休み。いろんなことに期待していた。
 高倉さんとおしゃべりができたらいいなぁとか、いつの日か二人で遊びに行けたらいいなぁとか。
 でも、それは叶わない夢。
 ……バカだ、ボクって。
 ボクは自分の鞄を取って、廊下に出た。……そして、そのまま一階――下駄箱があるところへ向かう。
 無理だったんだ。ボクが……高校生活を送るなんて。無理だったんだ。
 ちょっとしたエッチな気持ち、そんなことでワクワクして……どうしようもない奴だ。
 自転車を飛ばして、ボクは家に帰った。ここからすぐに離れたかった。

 ――家に帰って、ボクは自分の部屋に行った。
 そして、布団の中に潜り込んだ。
 ここならどれだけ泣いても誰にも見られない。思いっきり泣こう。
 もう二度と勘違いすることはないだろう。ずっと引きこもるんだ。
 
 ……夜になると、ボクは夜御飯を食べに下に下りた。
 母さんはとても悲しんだ。やっとボクがやる気になって学校に行った。それが続くと思っていたみたいだ。
 ごめんね、母さん。でも、ボクはもう行けない。行く自信がない。
 あとから聞いたことだが、父さんも母さんと同様、とても悲しんでいた。
 ボクの引きこもりの生活が再びやってきた。
 なんと短い時間の外出。希望。どうしようもない意思の弱さ、根性……。
 これが、ボクなんだ。
 もう高倉さんのことを思い出すことはなかった。……思い出そうとしなかっただけかもしれない。思い出すと、きっとよけい辛くなる。そう思っていた。
 
 引きこもりの生活に戻って、一日、二日……
 そして三日目のある日、またお昼の時間にインターホンが鳴った。
 もしかして……
 でも、ボクは期待しないことにした。
 高倉さんではない。彼女はボクに愛想を尽かした。来るはずがないんだ。
 でも……
「勇戸ー、お友達よー」
 まさか……
「だっ、誰ー?」
 できるだけ声を張り上げる。このとき、ボクの心は何を思っていたのだろう。高倉さんに会いたいと願ったのだろうか。それとも高倉さんでないことを願ったのだろうか。
 ボクの家に来る友達なんて想像できなかった。となればやっぱり高倉さん?
 もし……もし彼女がこの家に来たとしてもそれは何のためだ?
「ほら、前に来てくれたかわいい女の子」
 ……高倉さんで決定だった。
 今頃、彼女は何しに来たんだ。もしかして自分の言ったことを謝りに来たのだろうか。でも、別に謝ることではないよな。
別に……あり得る会話の内容だった。ボクがアプローチして、それを彼女が断っただけだ。わざわざ家に来る必要なんてない。彼女に悪い点は一つもなかった。
「高倉さん……?」
 ゆっくりと階段を下りる。
 会わないという選択肢もあったが、どうしても一階へ下りてしまった。
 もう一度会いたい。そう、本能が感じているのかもしれない。

 ……彼女だった。
 三日ぶりの再会。彼女は相変わらずきれいだった。
「よっ! 元気?」
 彼女は笑顔でボクにそう言った。
「……いや、あんまり」
「そう? やった! 来てよかった」
 元気がなかったら来てよかったのか? ……本当、この子、わかんないや。
「じゃあ、母さん行くね……」
 ほとんど前回と同じタイミングで母さんがその場から離れた。
「ねえ、部屋に上がらせてよ! 前にお願いしたじゃない」
「うん……いいよ」
 高倉さん、今日はとても機嫌がよかった。

 ――ボクの部屋に女の人が入ったことは今までない。……母さんを除けばね。
 そもそも男だっていないはずだ。そして、ボクは他人の家に上がったことがない。
 だからボクの部屋が普通なのか変なのか、そこらへんがよくわからない。
 部屋に人を上げることはちょっと抵抗があった。
 でも高倉さんは、確かに以前から部屋に入りたいと言っていた。それにあんな笑顔でお願いしてくるんだもん。そりゃあ、『いい』としか言いようがなかった。また、いきなりだったので、断るタイミングも逃してしまったよ。
 今、高倉さんが嬉しそうにボクのあとを追って、階段を登っている。
 ボクの部屋に入っても何も面白いことなんてないよ。それとも二人きりで話がしたい、そういうことなのだろうか。
 以前に学校で見せた不機嫌な高倉さんと今の彼女を比べたら、まるで別人だった。……今の高倉さんはボクの知っているいつもの高倉さん。……女神の高倉さんだ。
 本当の高倉さんはどっちなの……ボク、わからないよ。
 二人が部屋に入って、高倉さんが一番初めにしたこと。それは部屋全体を見渡すことだった。
「すごい……漫画がたくさん。ゲームもある。へぇー、けっこうオタクしてるじゃん」
「オタクって……もしかしてオタクなの、高倉さん? それともオタクが好きだとか?」
「ううん、違う。オタクはあくまでパーツよ。わたしが好きなのはネクラ。ジトジト、ウジウジしている人がもう大好きなのっ!」
 ……そんなこと、今みたいな素敵な笑顔で言わないでよ。混乱するじゃないか。
 聞き間違えなんかじゃなかった。彼女はネクラが好きなんだ。理由は全く、わからないけど……聞くか?
「ねえ、何で……その、ネクラが好きなの?」
「だから言ったじゃーん! ジトジト、ウジウジが好きなのー!」
「……高倉さんってS?」
「わかんない。たぶんどっちでもないような気がする。自分でも変わった性癖だと思ってるんだけどね」
 彼女の友達もネクラが多いのだろうか。 ……いや、そんなことはなかったはず。
 たぶん男に対してだけネクラが好きなんだ。
 ……本当に変なタイプの人だな。
 ボクも自分のことは変な奴だと思っていた。でも、そんなのまだまだ……ボクの方がまだ普通の人のようだ。世界は広い。
「これ、フィギュアじゃない?」
「え、うん……」
 高倉さんが指さしたところには動物の小さいフィギュアが飾られた。
 テレビ台の上に何気なく置いている。それはサルだったり、カニであったりした。
「これ、いいじゃん。ポイント高いよ!」
 ポイント……いわゆるオタクポイントというやつか。
 でも、美少女ものやロボットもんではない。動物フィギュアでも高倉さんの中ではフィギュアはフィギュアなのか。
「これね。サルの方はチョコの卵に入っている食玩ってやつ。高倉さん、知ってる?」
「うん……知らない」
「知らないか……それでカニの方はガチャガチャかな。通販で百円だった。定価は三百円ガチャなんだけどね。でも、かなり精巧にできると思わない? 他にも鹿とか像もあるよ。……押入れにあったかなぁ、見てみようか?」
「押入れ? いいじゃない。押入れ見せてよ」
 押入れ……確かそんな変なものは置いていなかったと思うが……
 押入れを開けると最初に目に飛び込んできたのが古いゲーム機、それに漫画がたくさん入ったプラスチックケースだった。
「うわ、思ったより片付いてない。この中から小さなフィギュアを探すのは無理か……」
 高倉さんの反応はどうだ?
「うん、いい。いいよ、特にね、このやりかけのプラモとかいい。もう最高! 漫画の多さもいいよね! もう、何百冊あるんだよって感じが!」
「はは……そんなに面白い?」
「うん! 他に何かない? うんと引くものなんか特に。ねえ、引きこもりなんでしょう? きっとあるわよ」
 引きこもりだから、引かれるものがある……それ、合っているのかなぁ?
「……例えばどんなのがいいの?」
 せっかくの二人きりだというのに全然ムードがないや。ボクたち、何やっているんだろう。
「そうねえ、アイドルのポスターとかは?」
「ない……」
「占いセットとか?」
「ごめん、それもないや」
「なら、特にポイントがあるのはこのマンガ本の多さだけか……これなら四級ってとこね」
 意味が……わからなかった。
「ごめん、もう一回言って」
「だから、四級よ。わたし、人の家に入って勝手にネクラランキングつけるのが好きなのよ。略してネクランキング。ネクランね!」
 自信満々に言われてもな……ツッコミどころ多すぎるよ、そのランキング。
「で、そのボクの四級っていうのは……?」
「あんまりね。ま、普通のネクラだわ。まだまだレベルが足りていない。……もうちょっと期待していたんだけどな」
「一体、どんなものがあったら上位になるの?」
「それは……まず明かりがついてきない。電球が切れても替えない。基本よねー。あとは熱帯魚飼ってるとか。話相手が熱帯魚なの。もしくは亀とか蛇ね。爬虫類はポイントが高いわ。犬や猫はダメ。それはただのペット好き。全然引かない。蟻とかもいいわね。カブトムシは……ちょっと微妙? ゴキブリなんか飼っていたら最高なんだけど……」
 どう最高なのか全くわからない。
 このやり取り、楽しいんだかそうでないのかが、わかりにくい。
 高倉さん自身はかわいいんだけど、趣味が全然かわいくなかった。……人の趣味にどうこう言える立場でもないか。
「ボク……それでも好きだよ。高倉さんのこと、ちょっと変な性格かもしれないけど、それでもボク……好きだよ」
 言ってしまった。慣れている自分の家で、部屋で二人っきりだからこそ言えるセリフだった。
 でもこれはボクの本心だった。もう一度、彼女と仲良くしたい。仲直りしたい。
 もし、これでちょっとでもいい返事がもらえたらまた学校に行くかもしれない。社会復帰できるかもしれないんだ。
 ボクの中で揺れている。人任せにするなんて卑怯かもしれないが、高倉さんがいる世界にボクも飛び込みたい。
「……はあ? キモイんだけど。そのポジティブみたいな、がんばるぞー的なものが……」
 明らかに不機嫌な顔になってしまった。
「もう帰る。冷めた。あんたのジメジメしたところが好きだったのに何? また急にがんばりますオーラ出しちゃって。そういうとこってムカつくのよね。引きこもっているあなたって最高。でも、今のあなたは最低。……また今度来る。今度はもっと絶望したあなたを見せてちょうだい」
 意味がわからない。意味が……意味が!
「意味がぁっ!」
 彼女はボクの方を見て、少し微笑んだ。
「……いい。今の表情、ネクラっぽい。精神が崩壊したあとって感じ。素敵……今のあなた、最高よ」
 何、言ってるんだ、この人……怖い……
 ボクが壊れるほど、この人は喜ぶんだ。顔は女神でも変態だ。変態なんだ、この人。
 高倉さんは部屋から出た。……そして家を出てしまった。
 彼女のことは好きだ……あの変態さも含めて。全部、含めてきれいだった。
「最高じゃないか、あの壊れた感じが……。ボクをはるかに超える。問題児……でも、他の人は誰も気づいていない。ネクラが好き? やばいよね……一体、何なんだよ」

「……学校、行こう」
 彼女には何か惹かれるものがあった。
 もっと高倉さんのことが知りたい。でも、彼女はネクラが好きなんだ。
 ボクが学校に行ったら彼女は、けむたがるだろう。でも、学校に行かなくては彼女に会えない。
 ……何なんだよ、この縛りは。
 普通じゃあ、有り得ないよ。そんな彼女のことを好きになったボクも変だけど……何だろう。胸が熱い。今までにない感覚。これが恋……なのかな?
 どうやって彼女に振り向いてもらおう。学校に行ってもネクラ……そう演技すればいい。
 じゃあ、そもそもネクラって何だ。オタクとはちょっと違うのかな。学校で漫画ばっかり読んでいたらどうだろう。彼女は振り向いてくれるだろうか。
 ……いや、それはないな。それだけじゃあ足りない。じゃあ、爬虫類でも持っていくか? ……それもきっとダメだ。ボク自身、爬虫類が得意ではない。それに飼い方もわかんないし。
 ネクラになりたい、そんなこと思っている人ってまず世の中にいないよね。
 どんどん深みにはまる、高倉ワールドに。

 ――翌日、ボクは学校へ行くことにした。
 ……いろんな小物を用意して。
 ボクは教室に着くと、まずゲームの攻略本を読み始めた。
 これはけっこうネクラだぞ。わざわざ学校にまで持ってきて読んでいるんだ。漫画ならインパクトがない。攻略本だからいい!
 でも高倉さんがこの行為に気づいてくれるか。彼女が気づかなければ全くの無意味。
 ボクは休み時間、ずっとゲームの攻略本を読み続けた。そして三時間目が終わったときの休み時間――
「……それ、何のゲーム?」
 近づいてきたのはクラスの男子。
 誰が来たのか、ドキドキした。高倉さんだったらよかったのに……
 君じゃあ意味がない。むしろ、ボクが君と話したら友達関係だ。仲良しだ。
 ……そんなのネクラでも何でもない。
 今のボクはネクラランキング四級なんだ。これはきっと一級まであり、その上位には一段、二段とあるのかもしれない。何の級がどれだけいいのか全くわからないけど。
 でも、とりあえずは一級を目指す。
 ……一級には友達なんていないはず。
 ごめんよ、名前も知らない人。ボクにとって大事なことは、高倉さんのことだけなんだ。彼女に好かれるためだけに学校に来ていると言っても、決して過言ではない。
 今のボクに友達はいらない。ごめん……!
「ああ、ちょっとね……」
 ボクは言葉を濁し、この場をやり過ごした。
 いつも、高倉さんがボクを見ている。そう思うようにした。

 ――昼休み。
 ボクは昼休みになってもゲームの攻略本を読み続けた。
 食事は学校に来る前に寄ったコンビニで買ったパンだ。これを一人、自分の席で食べる。
 ふふ、これで三級ぐらいになったかな。
 ……何かが近づいてくる様子がした。誰か来る……
 男ではない。制服のスカートが見えた。ボクの方に向かって一直線に……
 ボクはすぐその方向を見た。……高倉さんが一人でボクの方にやってきたではないか!
「あ……はぁっ、高倉さんっ!」
 ボクはとても興奮していた。
 彼女から近づいてくれたんだ。家の中ではなく、学校で。これは初めてだった。
 高倉さん、褒めてくれるかな? いいネクラっぷりだったでしょ? だから、もっとボクにかまって!
「……やるじゃない」
「え……」
 まさかの言葉。やっぱり高倉さんにボクの行為が認められたんだ。すごく、嬉しい!
「休み時間……それに昼休みも一人、自分の席で黙々とゲームの攻略本。こりゃあ、かなりのもんね。見直した」
 やったー! ……でもここで喜んではいけないぞ。そう、これは引っ掛けなんだ。
 ここで喜んで、嬉しいとか楽しいとか言ってはいけない。笑顔になってもだ。
 そうすると、たちまちネクラではなくなってしまう。ボクはいつもそのパターンだったじゃないか。
 でも、ボクは学習した。もう同じ轍を踏まない。
 ボクは嬉しい気持ちを抑えてこう言った。
「……別に。これが普通だよ」
「あっ……素敵。かっこいい♪」
 なぜこれがかっこいいのか、やはり考えても全くわからなかったが、これが彼女の性癖。これがセクシーなんだ。なら、このままでいようじゃないか。
「もう来ないでくれよ。一人にしておいてくれ。友達なんていらない」
 ……なんてこれは本心ではない。
 本当は高倉さんにどんどん来て欲しかったし、友達もいらないわけではなかった。
 ……でも今は百人の友達より、一人の高倉さんだ。
 さあ、彼女の反応は?
「素敵……大好き!」
 まさかの大成功! 彼女は顔を真っ赤にして、ボクの首に抱きついてきた。……どんなプレイだよ、これって。
 でも、ここで喜んではいけない。ここで突っぱねろ! やれ……ボクならできる。
 でも、ここで悪魔が囁いた。
 もう大丈夫、彼女は完全にボクの虜だ。
 ふと、気が緩んでしまった。
 彼女の胸がボクの肩などに当たる。いい匂いの髪。かわいい顔が急接近……これだけの刺激を一度に叩きつけられたら理性の限界だ。つい、顔がにやけてしまう。
 嬉しい! でもこれを表情に出してはいけない!
 でも、やってしまった……
「……ネクラじゃないじゃん。何、へらへら笑ってんのよ」
 彼女はそう言って、この場を去ってしまった。
 なぜ、ボクは最後まで気丈でいられなかったんだ!
 また彼女に嫌われてしまった! ……難しい。難しいよ、これは。
 まるで難易度の高すぎる、絶対クリアできないゲームでもしているようだ。
 近寄れば離れるが、離れたら近寄ってくる。……ナゾナゾじゃないか。
 でも、もうダメだ。ボクは彼女に夢中だった。彼女のことなら何でも知りたい。高倉さんは一体何者なのか。
 同じ中学校出身の人なら知っているだろう。誰だ? 手当たり次第聞いてみるか? こういうとき、友達がいないことがとても辛い。情報を得るにはどうしても人と関わらなければいけない。
 とりあえずボクは自分の席から近い人たちに聞いて回った。
 高倉笑美。
 頭脳明晰、スポーツ万能。
 だが、かなりSな性格の持ち主。ネクラな男性を特に好む。というか、ネクラ以外の男性に興味はない。
 今まで同じクラスに引きこもりがいると、必ずといっていいほどその者の家に遊びに行った。
 初めは彼女から好かれている感覚に陥るが、ちょっとでも喜んでしまったらその場で興味をなくされる。再び登校しようものなら、完全に相手にされなくなる。
 そういう場合、好かれた男のパターンは二つ。さらにネクラになるか、もしくは学校に通う普通の生徒になるか。たいていは後者の方だ。
 ネクラになればなるほど、彼女には好かれてしまう。……あの美貌だ。
 嬉しいと思わないわけがない。で、結局その繰り返しで学校には来てしまうものだ。
 これを高倉マジックと呼ぶ。教師の間では不登校の生徒のための最終的な切り札的感覚で期待されている。
 教師も親も友達も、彼女のこの変わった性癖についてはよく知らない。
「……結局、ボクも学校に来ているもんな。すごいよ、高倉さん」
 高倉さんに好まれるにはネクラでいることが基本。となればまた引きこもればいいだけの話なんだけど、それじゃあ毎日、彼女の顔が見れない。
 なら、学校の中でネクラな行動をするのがベストだ。
 この日を境に、ボクはネクラを研究した。……変な研究だな。

 ボクは毎日、昼休みは図書館に行った。どう? ネクラっぽいだろ。
 それも端っこの方にいるんだ。読む本は何でもいい。……古い方がいいかな。
 間違っても新刊コーナーにある本なんか読まない。それはネクラではなく、ただの文学少年だ。
 ボクは古そうで訳の分からない、誰が読むの? という本を読んでいた。
 タイトルは『クマに生きる』
 ひたすらクマが出てきて、森の中で生活している様子を綴っている内容だ。しかも本に出てくるクマはなぜか皆、言葉をしゃべることができる。
 児童文学か? いや、そうではない。
 クマの一頭一頭が大工であったり、釣りの名人だったり、木登りの名人だったりする。クマの世界に通貨などない。全てボランティアによって行われている。
 誰だ、こんな本書いた作者は?
 こんな本が高校の図書館にあることがまず不思議だった。しかも五百ページ以上もあるし。無駄に長編小説だよ。
 パラパラとめくっていく。
 飛ばし読みすれば、ほんの数分で終わってしまう。
 ……ちゃんと読むか。
 ボクはこの本を嫌々ながら、毎日読むことにした。一日、二十五ページほど進む。
 借りることはしなかった。……こんなの誰も借りることはないだろう。
 ずっと本ばっかり読み続けるのもしんどかったので、通常の休み時間は机に突っ伏した。
 授業中はひたすらパラパラ漫画を描いた。……これもネクラだろ?

 ――そんなことを続けて二週間。ようやくボクの努力が実り、高倉さんが再び教室で声をかけてくれた。
 ……久しぶりだ、普通に嬉しい。……いや、嬉しがっちゃダメだ。あくまでネクラ。ボクはネクラ……
 喜びなど感じない人間。
「なかなかいいじゃん。そのネクラっぷり」
「……そうかな? 普通じゃない?」
「ふーん、切り返しもまずまず。こりゃあ三級に格上げかな?」
 嬉しい! 四級から三級だ!
 ……待て、まだだ。まだ喜ぶには早い。
 彼女は今、ボクを試している。じっくり品定めしているのだ。
 あくまで、「格上げかな?」であって、格上げ決定ではない。もうそんな引っ掛けにも慣れたものだ。これも毎日、ネクラについて研究している成果だった。
「それ、何? 三級って何なの?」
「うふふ、前にも言ったことあったんだけどな……わたしの話なんて興味ない?」
「ないね。……いや、人間に興味を持てないんだ。誰も信用していない。用がないならどこかに行ってくれ」
「……最高。……いいじゃん、いいネクラじゃん。これ、もしかして三級どころじゃないかもしれない。二級? いや、それとも一級だってあるかも?」
 ウソ? いきなり一級? ……こんなにうまくいくとは。
 よし、この状態をキープだ。彼女に好かれよう。毎日が演技だっていい。それぐらいボクは彼女のことが好きだった。
「でも……まだ足りない」
「えっ?」
「そう、まだよ……ネクラを極めていない。わたしが求めるのはそんなネクラじゃない。もっと、誰がどう見ても完全に引くような圧倒的なネクラ……ネガティブで物事を考え、自己中は基本ね。他人を寄せつけないオーラ。そう、負のオーラ。それが満ち溢れている、ドロドロした闇。悪魔の申し子のような……そんなどうしようもない奴。そんな人をわたしは求めている」
 彼女はそう言って、ボクの元から離れた。
 ……なんだよ、そんな男になれってのか?
 最悪な男なだけじゃないか。でも、彼女がそれを求めるなら……
 でも、どうやってなれるのかわからない。
 研究だ。もっとネクラについて研究しなくては。

 それからボクはいろいろと考えた。目指すは究極のネクラ。
 思い出せ、小学校のときとかにそんな奴がクラスに一人はいたはずだ。……ボクを除いて。
 一度も話したことがない人間でもいい。参考にするんだ。ネクラの先生を探すんだ。
 皆から煙たがられ、嫌がられ、バカにされ……
 ははっ、そんなことを考えるボクは異常者だ。そう、きっとまともではない。
 ネクラ、ネクラ……
 髪を伸ばしてみようか。眼鏡をかけてみようか。
 こういうのはネクラなイメージだ。形から入るのも悪くはない。
 貧弱な体……これは大丈夫だ。折り紙つきの貧弱だった。
 そして、研究を重ね、ボクは究極のネクラになることに成功した。……と自分では思う。

 ――これはいつかの現国の授業のことだ。
「……であるからして、ここはこうなるというわけだ。わかったか? ……ん? おい、陰見。お前何してんだ?」
 先生がボクの行動に目をつけた。
 ……よし、いいぞ。授業中にボクの手元なんか、遠く離れた席にいる高倉さんに見えるはずもなかったからな。これは誰かが気づいてくれる必要があった。
 先生なら、それはなお、いい。
 授業の中で話題にしてくれるからだ。
 くくっ、この瞬間を待っていた。そして、ボクは今の行動を堂々と言えばいい。あくまで、「普通ですよ、それが何か?」という態度を取らなくてはならない。
 ある意味、先生を引かせればボクの勝ちだ。これにより、ボクは確実に二級、もしくは一級にまで格上げされる。それほどの自信があるネクラ行為!
「何をしているのか……ですって? ご覧のとおりですよ。ティッシュちぎりです」
「……は?」
 先生は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。クラスの生徒もボクに注目していた。
 ……いいぞ。注目されることは昔は嫌でたまらなかったが、今では快感だ。そうだ、もっと引いてくれ。ボクはネクラなんだよ。こんなことしてる奴、他にどこにもいないよ?
「その……もう一度言ってくれないか? ティッシュがどうした?」
 ああ、何度でも言ってやるさ。さあ、次はちゃんと引いてよね。……ふふ、高倉さんも見ている。そんな期待した目で見ないでよ。はりきっちゃうじゃないか。
「ティッシュをちぎっているんです。意味ですか? もちろんないですよ。あるとしたらアート、ですかね? ティッシュアート。それは現国の授業とまるで関係ない。……見ますか、ボクの作品をさあ、どうぞ見て下さい」
 ボクは細かく縦にちぎったティッシュを机の上に並べた。
「これが……アート?」
「そう、うどんですよ。見えませんか? うどんに……」
「これを作る……意味は?」
「意味なんてないですよ。……ないというのがいい。意味のないことは意外に素晴らしかったりするものです。だって意味が、ないんですよ?」
 自分でも何を言っているのかわからない。でもこのわからなさがいいんだ。
 これなら確実に引く。ボクに関わりたくないと思うはずだ。まともに相手にする生徒ではない。ボクみたいな奴に説得しようと思っても無駄だ。
 ……変人だからな。普通のお説教など、それこそ無駄に等しい。
 そして先生も授業を進めなければならない。なら、どうするか?
 答えは一つだ。無視をする。……だろ?
「……次のページに進もうか。川島、読んでくれ」
 勝った……!
 究極のネクラというのは、誰にもその行動が理解されない。最後は無視だ。無視されることでその行動がネクラ行動であることを証明してくれる。
 ……ボクのことをずっと見ているな、高倉さん。
 ありがとう、とても嬉しいよ。彼女は昼休み、ボクに声をかけてくるだろう。
 やった! 何級に上がった? ボクはしばらくそのことしか考えてこなかったんだよ。……昼休みまで待ち遠しい。
 おっと、ボクの前の席にいる奴。名前なんかどうでもいい。覚えていない。野郎のことなんか、いちいち覚えていないさ。他の女子も問題にしない。ボクが意識しているのは高倉さんただ一人。
 ……で、前の席の男、震えているよ?
 ボクが怖い?
 ネクラはある種の怖いイメージを持っている。
 それは不良とかヤンキーといった暴力的やファッション的な怖さではなく、呪いや何を考えているのかわからない理解不能による恐怖だ。
 恐怖とは何か? つまるところ、真の恐怖とは『わからないこと』だとボクは思う。
 ボクは今、きっと多くの人から奇妙な人間として恐れられている。
 教室の空気が一気に冷たくなったのがわかる。
 これが負のオーラというやつなのか……。

 ――昼休み、高倉さんがボクの席にやって来た。
 ボクは昼休みになってからも黙々とティッシュアートに励んでいる。
 励んでいるなんて、ネクラが使う言葉ではない? ……いいや、内容が内容だからいいのさ。ティッシュアートに授業中も休み時間も励んでいるなんて、ネクラを通り越して変態だろ? それがいいのさ!
「すごい……まさか、勇戸君がこんなレベルにまで上がっていたなんて」
 称賛の声。ボクはこれを待っていた。
「ボクが三級だって?」
 そう、つっけんどんに言った。
「ううん! ごめんなさいっ! 一級! 一級よ!」
 やった……これで一級。でも、その上というのは存在するのだろうか。それともこれが最高位なのか?
 ……聞いてみたいが、それではいけない。不自然だ。作ったネクラより、自然のネクラの方がいいに決まっている。ボクは彼女の言葉を待った。
「痺れちゃう。最高……もう素敵」
「そんな言葉、もう聞き飽きたよ。……で、用はそれだけかい?」
 ボクはできるだけ額に皺を刻んだ。もううんざりだと顔をした。……もちろん、本心はそんな気持ちはない。
「あなたを招待したい……」
「招待? 一体どこへ?」
「わたしの彼氏がいる……旧校舎へ」
 彼氏? 旧校舎?
 なんだ、それは?
 つい、あせってしまう……整理しよう。彼氏がいたのか? 高倉さん……
 そんな素振りはなかった。だって彼氏がいるのなら、以前にボクの家を訪問したことがちょっと理解できなくなる。
 彼女は理想の相手を探していた、待っていたのだ。ボクはずっとそう思っていたが、違ったのか?
 それに旧校舎だって?
 ……そんなの初めて聞いたぞ。言葉通りの意味なら、今の校舎よりずっと古い校舎ってわけだ。そんなところ、この学校にあったっけ?
「その顔、どうしたの?」
 いけない! 高倉さんに彼氏がいることを聞いて、ショックを受けていた。これはネクラという顔ではなく、残念がっている顔だ。
 こんなことで表情を変えていてはいけない。
 ボクは平然とした態度で彼女に聞いてみた。
「君、かっ、彼氏? 彼氏がいたんだ……ま、どうでもいいけどね。それより招待したいって何なの? 旧校舎?」
「彼氏がいるって言っても今は形だけ。まだ手をつないだり、キスもしていない。……キープって感じかな? でも、しばらくたって彼より理想の人がいなかったらもう……」
 高倉さんの彼氏って誰なんだ? イケメン? それともネクラ?
 普通に考えたら、こんな美人な子の彼氏なんだから、イケメンを想像してしまう。でも彼女は普通の人とはちょっと違う。……ネクラな彼氏なのか?
 でも、キープ状態だと言っていたな。ということはまだボクにもチャンスがある?
 とにかく彼氏に会ってみたい。話はそれからだ。
「その彼氏が旧校舎? にいるってこと?」
「うん。良かったら、ついてきてくれないかな?」
「ふん、嫌だ! そんなの興味ないね!」
 ……本当はとっても行きたいです、はい。
「ねえ、お願い! ついてきてほしい。お願い……!」
 彼女が手を合わせ、さらには膝までついた。
 ……おいおい、そこまでやるか?
 周りの人たちが見ているじゃないか。まるでボクが彼女を土下座させているようだった。
 でも、これぐらい断ったあとならいいだろう。嬉しそうな感じは少しも出していない。
「……わかったよ。わかった。じゃあ、その旧校舎に案内してくれ」
「うんっ!」
 高倉さんのとびっきりの笑顔。
 ……もったいないなぁ。これで性格がまともだったら、完全無欠の美少女で通るっていうのに。