サイコー君のくま父さん

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『神の子』 その3

  3 信じられるはずがない

 神はとにかく忙しい。世の中には刺激が必要だ。平和ボケした人間たちに災いという刺激を与えよう。それは噴火だったり台風だったり地震だったりする。
 欲望を与えたのも神、セックスの快楽を与えるのも神。この世にいたいと思うのはすべて欲求であり、これらを満たすために人間はがんばれるのだ。
 たまに神は悪い人間を作る。とびっきりのワルだ。そいつが世界をかき乱す。人類は抵抗する。対策を作り、法律も作る。よって文明・文化が発達する。そういう意味で世の中には悪が必要だ。
 神は悪を作る。それについて神は悪いとは思っていない。むしろこれは善行なのだ。だから誰かに恨まれる筋合いはない。神は神で人々に刺激を与えるという仕事をしている。この世のほぼすべての不運なことや事故なんかも神の仕業だ。神はイタズラをする。本人にとってはほんの茶目っ気のつもりだ。だが、これで国同士が戦争をする。神はそれを見て、ほくそ笑む。誰も神の仕業だなんて思わない。狂った人間を数人投入するだけでいい。上層部なら尚更だった。
 神は絶対的な存在だ。神を中心に物事すべては回っている。つまり、神こそすべての頂点。誰に咎められることもない。神は自由に生きる……そんなことを聞かされた。でも、ぼくにはこのほとんどが理解できない。
 神って本当にあの神なのか? ……信じられない。

「神? それはそういう名前なんですか?」
「バカか、お前。神様の神だ。まさか神を知らねぇって言うんじゃねぇだろうな?」
「いえ、知っています。が……」
 あまりにもイメージと違いすぎる。そう喉元まで出かかったが、ぼくは耐えることにした。
「そういやお前、ビールまだ買ってきてねぇだろ? あん?」
「警官が突然やってきたので……」
「突然? そりゃあ本当か?」
「はい、事実です」
「じゃあ今からビール買いに行ってくれや。嬢ちゃんはここに置いてきな」
「えっ?」
 思わず大きな声を上げてしまった。やっぱり千依を人質にするのか。油断した。警官がやられることはないと踏んでいたから、千依を家に入らせてしまった。が、状況はむしろ悪くなった。少なくとも一度は千依を外に出すことに成功していたのだ。こいつに二度目は通用しない気がする。
「なに驚いてんだ? いいだろ別に」
「千依は手伝ってくれるんですよ、買い物を。だから千依がいないとぼくは買い物には行けません」
「おいおいおいおいおい~っ! お前は高校生にもなって小学生の妹がついていないと、スーパーで買い物ができないなんて言うのか? どこにそんなヘタレな人間がいる? どうせお前の魂胆はそのままトンズラする気だろ? 違うか? 確かに絶好の逃げ場ではあるからな。……バレてないとでも思っていたか。一度嬢ちゃんを外に逃したぐらい知ってんだよ。嬢ちゃんはお前を逃がさない人質だ。だから置いていけ」
「でも……」
「おいコラ、俺の気が短いのはもうすでにわかっただろう? そのうち、お前か嬢ちゃんをうっかり殺すこともあるかもしれねぇぜ?」
 ……嫌だ。ここに千依を置いておくなんて。ここで千依を置いてぼくが外を出るということは、千依を見殺しにするのと同じことだった。
 万が一の可能性に賭けてこいつと闘ってみようか? 今ならきっと油断しているはず。そうだ、台所に包丁があったはずだ。
「お前さん。俺を鬼畜のように考えているかもしれねぇが、俺はもっとムッチリしたナイスボディの女が好みなんだ。間違っても嬢ちゃんには手は出さねぇよ。それにお前たちがいなくなると俺は誰を奴隷にしたらいい? 奴隷は生かさず死なさず……それが基本だろう。お前たちは俺にとっては奴隷。家畜なんだよ! 家畜は家畜なりにご主人様の言うことを聞くもんだ。そうすればエサをやろう。命も奪わない。お前ら人間も普段やっていることだろう?」
 家畜だって? 人間が……ぼくたちが家畜だっていうのか。こいつは例えぼくたちが死のうがなんとも思わないだろう。圧倒的な力。本当に神なのかもしれない。だが……、
「それが本当に神のすることか?」
「家畜に神はいなぁいっ!! 聞かなかったことにしてやる。さっさと行け! 今度、行かねぇと本当にキレるぞ。嬢ちゃんの指を一本一本へし折ってやろうか? たかがビールを買いに行かないがためにだ。そんなのどう考えてもアホくさいだろう? 行け」
「わかりました……千依、必ず戻ってくるからな」
 ここはおっさんの言うことを信じよう。とても信頼できるような人物ではないが。そして考えるんだ。ビールを買いに行く間だけでも俺は自由……。
 どうする? 誰に助けを求める? ここで二人の警官が命を落とした。そのことを警察が知ったら何十人、何百人と数を揃えてここにやってくるだろう。
 でも例え百人の警官が来ても、あいつに勝てるのだろうか? あいつがもし本当に神だとしたら、ぼくたち人間はなにをやっても勝てないんじゃないか?
 まずは外に出よう。ビールを買いに行かなければ。
 ピンポーン……。
 誰だ、こんなタイミングに。ぼくは玄関のドアを開けた。
 そこには隣に住むお姉さんがいた。彼女の名前は雑賀茜(さいがあかね)さん。ロゴの入ったTシャツの上に、ブルゾンを羽織っている。大人っぽいタイトスカートを履いていた。
 お姉さんは大学四回生ですでに就職が決まっている。四月から初勤務となるのだが、それまで最後の学生生活をほとんど自宅で過ごしていた。
「おっす、遊びに来てやったぞ♪ たまにはわたしとゲームでもしないかね?」
 なんて間の悪い……。ぼくはこのお姉さんが好きだった。
 お姉さんはたまにこうやって家に遊びにくることがたびたびあった。千依も彼女のことが好きで、こうして来てくれるのを毎回歓迎していた。
 仕事の都合で今はぼくの家に両親がいないから、こうやって様子を見にきてくれるのだろう。本当に優しいお姉さんだ。
 でもこんな優しいお姉さんだからこそ、今は家の中に入らせたくはなかった。
「お姉さん。その、今はダメなんだ」
「えっ、なんで? もしかして彼女が来てるとか?」
「そんなんじゃないよ。なに言っているんだよ」
「本当? 本当に彼女じゃない?」
「本当だって」
「あやしー! なんかますます家の中に入りたくなったな、お姉さん♪」
「頼むよ……お姉さん」
「……わたしがいると迷惑?」
 お姉さんが寂しい表情を見せる。
 迷惑? そうじゃないよ。言いたくても言えない。危険に晒されるのは目に見えていた。わざわざ被害者を増やすこともない。ここはぼくの言う通り帰ってほしい。
「本当に大切なお客さんが来ているんだ。今日は悪いけどそのまま帰ってくれないか?」
「それはいいけど……大丈夫? なんか怯えた顔してるよ?」
 長い付き合いだ。こういうちょっとした表情に気づくことは、お姉さんは昔から得意だった。ぼくの今の顔を見て、なにも思わないわけがない。
「ちょっと体調がね。そう、お医者さんが来てるんだ。だからぼくと一緒にいたら、うつるかもしれないよ」
「うつる病気なの? ……怖いわぁ。でもお姉さん、広造君の病気ならうつってもヘーキ♪」
 お姉さんは無邪気に笑った。とても素敵な笑顔が、ぼくの心境とまるでマッチしていない。こんなに距離が近いのに、これほど考えていることが遠いなんて。
「とりあえずそういうことだから。帰って。ね、お願い」
「えぇ、寂しい! ねぇ、広造君っ!」
 ぼくはドアを閉めようとした。でもその途中で、あのおっさんがぼくの傍に寄ってきたんだ。
 お姉さんはグラマーでとても魅力的だ。そんなのおっさんが見逃すはずがないと思った。お姉さんの姿を一目でも見せることはできない。
 自然とドアを閉めるスピードが速くなる。そのため乱暴にドアを閉めてしまった。
 ――ガガンッ!
「……おい?」
「あ、すみません。すぐビールを買いに行きます。その、財布を忘れたもので」
「違う。すげぇ美女。さっきいただろ?」
「いませんよ。なにかの間違いじゃないですか?」
「いいや、いた。なぜウソをつく? 確かに美女がいた。そういう匂いがしたからな。俺にはわかるんだ」
 今、ぼくが閉めた玄関のドアをおっさんが開ける。
 外にはまだお姉さんがいた。彼女がこちらを振り返ると、艶のある長い髪がふわっとなびいた。
「いいケツしてんじゃねぇか。そこのオネエちゃん! こっちだ。こっちに来てくんろー!」
「おじさん! なに言ってるんですか? 彼女は今忙しいんですって。だから呼び止めたらかわいそうですよ!」
「おめぇ、俺は神だぞ? 神に会うより大切な用事が他にあるって言うのか?」
「それは……」
「な? だからいいんだよ。オネエちゃーん! そこの悩殺ボディのオネエちゃーん!」
 来るな。来ないでくれ。頼むから!
「……わたし?」
 お姉さんが振り向き、こっちに近づいてくる。……なんで来るんだよ。ここは危険なんだ。そのまま走って逃げてくれよ。
「広造君。こちらの方は?」
「あ……その。この人は」
「この人がもしかしてお医者様?」
「うん。そ、そうだよ。全然見えないでしょ?」
 おっさんがぼくより前に出て、お姉さんのすぐ傍まで近づいた。予想通りの流れになってしまう。最悪だ……。
「いやぁ、べっぴんさんだ。ちょっと家でお茶でも飲んでいかねぇか?」
「この家、広造君たちの家なんですけど……あなた誰です?」
「細かいことは気にすんなっ。さっ、とっとと入ってくれ!」
 お姉さんが怪訝な顔をしてぼくを見ている。もうなにを言っても手遅れなのかもしれない。でも最後の警告だと思ってぼくはたった一言だけ、祈りを込めて絞り出すように言った。
「お姉さん、帰って……お願いだから」
 だが、それがまったくの逆効果になってしまったことをぼくはすぐに後悔した。
「いえ、ぜひ上がらせてもらうわ」
 お姉さんは怒っていた。
 ……勘の鋭いお姉さんだ。このおっさんのことが医者でないことぐらい、すでにわかっているだろう。
 おっさんが勝手に家の中に入ってきた。それをぼくでは止められなかった。だからお姉さんは自分がこのおっさんを追い出そうと思っているのだろう。
 ただのおっさんならそれも可能だ。でも、このおっさんはそんな生温くない。本当に神かどうかはわからないが特殊な力を持っていることには間違いなかった。
 お姉さんは家に上がり、ぼくも続いて家の中に入ろうとするのだが……。
「おっと、お前はビールを買いに行け。わかったな?」
「ビールですって? 広造君はまだ未成年よ」
 お姉さんは驚き、声を上げる。
「ははっ、強気なオネエちゃんだ。ますます気に入った。いいねぇ~」
「なに言ってるのよ。どうせあなた、強引に家に押しかけたんでしょう? 出てって下さい!」
 お姉さんは強気だった。でも、これ以上こいつを刺激するのはまずい。お姉さんはまだ気づいていないんだ。こいつの本当の恐ろしさを。
「お姉さん、あれを……」
 ぼくは死んでいる警官を指さした。ここからでも十分に見える距離。血の海はまだ拭き取っていない。
「これ……なに?」
 ようやくお姉さんは事の重大さに気づく。だがそれももう遅い。おっさんはお姉さんに抱きついた。
「おほっ、この柔らかさ。たまんねぇ。いいねぇ、これが女だよ。いい! 一番いい時期だぁ~。あぁ、もう最高~」
「やめてっ! なに、するの……このっ!」
 お姉さんの肘打ちがおっさんの顔に当たる。が、彼はなんとも思っていない。構わず行為はエスカレートする。
「俺ぁ、お前さんみたいな女が好きだ。たっぷり楽しもうぜ。……お前、まだそこにいたのか。さっさとビールを買いに行けよ」
 とても買い物になど行ける状況ではない。ぼくはおっさんの言うことなど聞かず、その場で佇んでいた。
「お前、嬢ちゃんがどうなってもいいのかよ? あ……?」
 この隙にお姉さんは台所に向かった。お姉さんはこの家に何度も遊びに来ていたので、どこになにがあるのかを大体把握していた。おそらく包丁を取りに行ったのだろう。
 ぼくはおっさんがそれを止めるものだと思っていた。だが、おっさんはその様子を楽しそうに見ている。
「ふふっ、面白いオネエちゃんじゃねぇか。まあいい。お前もそこで見たけりゃあ見てろ。だが、たぶん後悔することになるぜ。くくっ」
「――そこのあなた! すぐにこの家から出ていきなさい。さもないと……」
 お姉さんは必死になってぼくを守ろうとしてくれた。歩いた床は血の跡が点々とついている。それは血の海を渡ってきたってことだ。
 そんなとき、奥の部屋から千依が顔を見せる。
「千依ちゃん? ……あぁ、なんてかわいそうに。こんな小さな子にこんな惨殺……悪夢だわ」
「へへっ、その悪夢なんだが、もっとひどいことになるぞ。その嬢ちゃん、もっとあんたから離れさせておいたほうがいいんじゃねぇか? ぐふっ、ぐふふっ」
 おっさんのしそうなことは予想できた。そんなところを千依には見せられない。俺だって見たくない。なによりそんなことさせたくない。
「そのオネエちゃんの持っている包丁。そいつで俺を突くのか? ……でも、できるか? あんたみたいな平和ボケしてる女に」
 お姉さんはいつも優しくて平和主義者だ。でも、今は決死の表情で目の前にいる悪魔に刃を向けている。
 いざとなったら、こんなに強くなれるお姉さんをすごいと思った。それに比べてぼくはどうだろう。傷つくことを忘れて、千依をこの家に一人残そうとした。
「わたしは本気よ! さっさと出ていって!」
「どうやらそのようだな。あんたはここの家の人間じゃない。なのにどうしてそこまで加担しようとする?」
「それはこの子たちが大事な人だからよ。大事な人っていうのはどんなことがあっても守りたくなるもの。あんたみたいな悪魔にはわからないでしょうけどね」
「悪魔か。こいつはひでぇ! 俺は神様だぜ? まるっきり真逆じゃねーか」
「あんたなんか……悪魔よ」
 お姉さんに震えはなかった。……本気だ。
「っぁあああああああ――――――――――――ッッ!!!!」
 包丁を構えたまま、お姉さんは走った。
 ――ドッ!
 おっさんの右肩に包丁が刺さる。そこから血が流れた。
「……なんで肩を狙ったんだ?」
 おっさんがお姉さんに小さく言った。痛みを感じない体質なのか? 出血はあった。普通ならパニクるところだ。でも、こいつは違う。普通では考えられないことがこいつにとっては普通なんだ。
 まるで刺されたことを喜んでさえいるように思えた。不気味で異様な感じ……。
「な……なんで?」
「なんでだぁ? 決まってるだろ? 俺は神だぞ? 血は出ているが、大した問題ではない。どうとでもなる。それよりさっきの質問だぁ。お前さん、人を殺そうと思うんだったら普通は首、心臓、腹、目……まあそういうところを狙うよな? だが、お前さんが狙ったのは肩。これっておかしくねぇか? まさか俺に負傷をさせて、命までは取ろうとはしなかった。この年齢で殺人はしたくはねぇよな? できるなら正当防衛、もしくは単に傷害罪で捕まったほうがこれからの人生やり直しがきく。だが……甘いなぁ。お前ら人間は皆、甘いよ。どうしてもうすぐ死ぬか生きるかってところで手加減をする? どこかで安全策を取ろうとする?」
「もう一度……刺してやる……今度はちゃんと、首に」
「いいねぇ、首か! いいぜ、来いよ!」
 お姉さんの目は虚ろだった。
 肩を刺されてもまったく動じないおっさんが目の前にいるんだ。お姉さんは頭のいい人だ。もうわかっている。ぼくたちが助からないことも……。
 お姉さんは包丁を横に振った。すると簡単におっさんの首が胴体から離れた。
「きゃあっ!」
 その光景を見て、千依が悲鳴を上げる。……死んだのか? 妙にあっけなすぎる。これで終わったなんて思えない。なにかある。相手は神だ。
「やってしまった……殺人……。広造君はなにも気にしないで。わたしがこうしたかったから。勝手にしたことなんだもん……警察。警察に電話しなくっちゃ。ケータイ? ケータイあったかな……」
 お姉さんはポケットをまさぐりケータイを探した。
「あった。へへ、本当……気にしないでね」
 突然、床に転がったおっさんの首が動き出す。それが飛んで、お姉さんのケータイの上に乗っかった。
「ひっ……!!」
 お姉さんはすぐにケータイを離した。おっさんの首はゴロゴロと音を立てて地面を転がる。
「痛ぇじゃねぇか、オネエちゃんよ。この責任どう取ってくれるんだ? あぁ?」
 まるでゲームや映画の世界だ。こんなこと現実の世界で起こるはずがなかった。さすがにこれを見て、お姉さんも言葉を失う。ゆっくりと後ずさりした。
 ネチャッ……。
 お姉さんが触れたものは死んだ警官の血液。血の海の中心部分はまだ乾いていなかった。
 お姉さんの背中が警官の死体に当たる。立つことはできなかった。そこがお姉さんにとって行き止まりだった。
 おっさんについてだが……今度は胴体が動き始めた。胴体はおっさんの頭を持ち上げ、当たり前のように首に乗せた。
「ふ~、うぃっ。んー、……ま、こんなもんだろ」
 おっさんが首を回すと細かい部分を含め、胴体と連動した。この男はもうなんでもありだ。
「へへっ、おとなしくなりやがったな。こりゃあ、ちょうどいい♪」
 おっさんはお姉さんの手を取って、無理やり引っ張った。
「……あ……ん」
 お姉さんはほとんど反応しない。目を開けながら気を失っているのだろうか。
 おっさんがお姉さんを居間に連れていき、ソファの上に乱暴に突き飛ばした。そしておっさんが自分の上着を脱ぎ始める。
「や……やめろよっ!」
 ぼくはなんとか声を上げるが、それは近くにいる者でさえなにを言ったのかわからないぐらい、か細い声だった。
 おっさんがぼくを見る、睨む……それだけで恐怖のあまり後の言葉が続かない。
「どっか行ってろよ、ガキが。嬢ちゃんも連れていけ。それとも今から始まること、お前もわかってんだろ? 妹にそんなとこを見せたいか?」
「やめろ。やめるんだっ!」
 ぼくは素手のまま、おっさんに向かっていった。パンチがおっさんの顔面に入る。ぼくは何度も何度もおっさんの顔を殴った。
 でも、おっさんは平然としている。ぼくのパンチなんかちっとも効いていない。
「……あー、もう限界だわ。お前、もう邪魔!」
 おっさんが左手でぼくを払う。ぼくは後ろに吹っ飛び、壁に思いきり体をぶつけた。
「やめて……やって……くれ……」
 ぼくは泣きながら頼んだ。千依もお姉さんの今の状況をなんとなく感じたのか、お姉さんの体に覆いかぶさり、必死に守ろうとした。
「くそっ! 邪魔だ、クソガキ! 嬢ちゃんっ! お前も殺すぞ!」
 千依はただ、お姉さんにしがみつき、目をつむってじっと耐えていた。
「あぁ、面倒くせぇ! あぁ、面倒くせぇ!」
 おっさんは千依の背中を何回も殴った。しかし加減はしている。こいつがその気なら指先だけで人を殺せるほどだ。
 ついに千依は吐血してしまった。それでも千依はお姉さんにしがみついて離れない。お姉さんを守ろうとする気持ちはそれほど強かった。
「チッ、面倒くせぇが……。んんん~……っっ!!」
 もしかして警官を燃やしたときに使ったあれか? このままでは千依もお姉さんも焼かれる。焼かれて死んでしまう!
 もう指一本さえ動かせる力は残っていない。体全身に感覚がない。痛いのか、かゆいのか、それも感じない。
「天賦の才、雲の如く自由に生を送る無頼者。我流にして無形、変幻自在、その姿を隠せ……!」
 おっさんがそう言うと、おっさんの姿が消え始める。水蒸気? いや、これは雲。
 おっさんの姿がなくなると部屋には大きな雲が現れた。視界がぼやけてなにも見えない。ただ、白い煙のようなものがモクモクと立ち込めていた。
 ――その時間約十分。
 今度は白い蒸気がだんだんと一つの場所に集まり、それがおっさんの姿になっていく。
「ふう、楽しかったぜ」
 なにをした……?
 ぼくはお姉さんに目を向けた。お姉さんは服を着ている。千依もお姉さんにしがみついたままだ。
「な……なにをした?」
 俺はこの十分の間に、ある程度話すぐらいまで回復していた。
「ん? あぁ、交尾だ」
 交……尾?
「お前、まさか俺が殺した警官のときにみたいにあのオネエちゃんを焼き殺すとか思っていたんじゃねぇだろうな? バカな! そんなもったいねぇことできるわけねぇだろ。でも、あの嬢ちゃんはオネエちゃんから離れようとしねぇ。殺すとオネエちゃんが血まみれになっちまうからな。そんな女は抱きたくねぇ。だから雲になってオネエちゃんといいことをしたまでだ」
 雲に……? 雲になった? こいつが?
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。やはりたまに人間界に来るもいい。ま、酒は飲めなかったがな。それは向こうで飲むとするか」
 おっさんが部屋から出て行こうとした。だが、思い出したかのようにすぐに戻ってくる。
「いけねぇ、後始末。こういうのがバレると天使たちがうるさいんだ。悪いが、お前ら全員死んでもらうぜ。楽しませてもらったお礼だ。死に方ぐらいは選ばせてやる。燃えて死ぬか? 凍えて死ぬか? 感電して死ぬか?」
 本気で言っているのか。死に方を選べだなんて。どれも選べるわけないじゃないか。
「無視かよ。面白くねぇラストだな。まあいいや。んんん~……っっ!!」
 またおっさんが唸りだした。今度はなにをする気だ? おっさんがこうして唸っているときは次に必ず摩訶不思議な現象が起こる。
 この隙を突いてなにかできないだろうか。時間にしておよそ十秒から十五秒……。
「炎の精霊よ、今一瞬のすべての炎を。その手に委ねる……サラマンダーッ!!」
 おっさんが呪文のような言葉を口に出したあと、どこからか不気味で大きなトカゲのような生き物が部屋に現れる。それは全身が炎に包まれていた。
 ――その瞬間、部屋は炎で燃え広がった。
「時間切れだ。焼かれて死ぬがいい。死んだあとは天国に行けるよう、ダチの閻魔に言っといてやるわ。オネエちゃんとはまたそこで楽しいことでもしようぜ」
 おっさんはそう言って消えてしまった。今度は本当に消えたようだ。もう戻ってくる様子はない。
 部屋はすでに全体で火が回っている。ぼくはボロボロになった体で、なんとかお姉さんと千依に近寄った。
「あぁ、こんな……かわいそうに」
 このままでは三人とも死んでしまう。一刻も早く家から出なくてはならない。
「千依……お姉さん……」
 二人に声をかけるが反応はない。完全に気を失っている。もしくは……嫌な考えが頭をよぎる。生きていると信じたい。
「くっ……! うっ……」
 一人だったらぼくもそれほど苦労することなく抱えることができただろう。だが二人同時となると、かなり重さを感じる。二人で八十キロぐらいだろうか。それが両肩にのしかかる。
 千依を肩に乗せ、お姉さんを両腕で抱いてかかえる。玄関まで数メートルしかない。
 今日ほど自分の力のなさに嘆いたことはなかった。でも悲しんだり涙を流したりしている暇なんてない。例え、筋肉がちぎれてもいい。骨が折れてもいい。この二人だけは助けなくてはいけない。
「ふっ……くっ……!」
 何度も気合を入れる。筋肉が痙攣しそうになる。肉体の限界を忘れることにした。できるのだと自分で暗示をかける。
 二人分の重さがあるので一歩歩くだけでも大変だ。おまけにどんどん火の勢いは強くなっている。
 体中が熱い。生涯で初めて死に直面する。気持ちはあせる一方だった。
 お姉さんの顔はすすで真っ黒になっていた。きれいで、あの優しかったお姉さんが……。
 ぼくの原動力は千依とお姉さんを助けたいという気持ち。あとはあの悪魔のようなおっさんに復讐をすること。この二つの思いがぼくを動かした。
 
「――あ、誰か出てきたぞ。救急車ー、こっちだー!」
「まさかこんな炎の中で……」
「信じられない。見ろよ、人間二人抱えて出てきたぞ」
「助かるのかしら……?」
 いろんな人の声が聞こえた。
 そうか、ぼくは外に出ることができたんだな。目は熱くて開けていられなかった。だから途中でぼくは目をつむって進んだ。
 しばらくしてなにかにぶつかる。それはドアだ。ぼくは手探りでノブを探した。……そして見つけた。ぼくはノブを回した。
 千依とお姉さんが二人が生きていますように。ぼくは死んでもいいから……二人が助かります……ように……。
 ぼくはその場で倒れた。あとのことは覚えていない。